弁証法の説明自体は、簡単にします。
テーゼに対するアンチテーゼをアウフヘーベンして、より高次のジンテーゼを導出することです。
珍しい。二つ目のハリネズミ画像ですね。
詳しく説明します。
ある命題があるとします。それに対して反論を挙げます。
命題とその反論を加味して、よりよい結論を出します。
より具体的に説明します。
売り手がある商品を200円で売りたいな、と話を持ってきました。
話を振られた買い手は100円で買いたいな、と思います。
そこで話し合って、150円で売買成立です。
これが、私が考える、一番原始的な具体例です。
より高度な具体例を挙げます。
お付き合いして1年になる男女がいるとします。
それを記念して
男性は海に行きたいと主張。女性は山に行きたいと主張。対立します。
そこで、本来の目的である「付き合って一年たった記念をいい思い出にするためのイベントである」事を再確認し、二人がいい思い出を作ることができるイベント、という観点で話し合います。
結果、二人の大好きなバンドのライブに行くことにしました。
手あかのついた言い回しでいうと、win-winの結論を出す、ということになります。
いかがでしょう?
「難しい専門用語だしてるけど、要点はなんとなくわかった」と言っていただければ幸いです。
本当に言いたいのはここからです。
ヘーゲルの弁証法はある命題に対する多様な価値観を包括したうえでの結論を導く手法だと思いますが、前提条件があるのです。
それは、会話が成立していること、です。
当たり前かもしれませんが、よくよく注意してみてください。
会話に使っている言葉が、相手と同じ意味合いか。
上記、過去記事を例にすると 少し揺らいでくるのではないでしょうか?
逆に、今までそのような心当たりが全くないという人は、一つのコミュニティに留まりすぎているように思えます。そうなると、自分の常識に対して、自信を超えた信仰心のようなものすら持ってしまい、「自分の常識に合わない人間は非常識」という人になってしまいます。これは言外に「自分の常識は絶対的なものである」と過信し、「常識はコミュニティにより違い得るし、時々刻々と変化する」ということを理解していない、と主張しています。
話している言葉の定義は、互いの立場でも変わります。
社長と平社員は給料に対する考えもイメージも違うでしょう。
サラリーマンとフリーランスでも違うでしょう。
会話をするのに、言葉の定義を確認しておくことは重要ですし、会話がかみ合っていない場合、確認することが重要かもしれません。
かもしれません。
歯切れの悪い言い方をしました。
これには理由があります。
そもそも会話をするのに、そこまでのコストを払う必要があるのか、という観点があるからです。
前提条件のすり合わせは大事です。しかし、慎重な会話をするのに払うコスト(機会損失)は人によって違います。
かなり、違います。
暇を持て余した議論好きの大学生が、バリバリ働いてるビジネスマンと会話する機会を得ることは僅少です。
何らかのコネがあるか、ビジネスマンにとって将来の投資になるか、当該大学生が何らかの才能、才能の片鱗を見せているか、でしょうか。
誰か知らない人と接触する場合、過去の言動を見て「明らかに自分と重なる部分がない」と判断すれば、そもそもカラまないと思います。
インターネットの普及でSNSが発達し、価値観の違う人とつながるチャンスができました。
しかし、それは、価値観が違う人とは「会話がかみ合わない」のではなく「会話すらしてもらえない」事実が顕在化したと言えないでしょうか?