かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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詠み人知らずについて考えた

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 詠み人知らずとは、和歌などで、作者不明・匿名の投稿を示します。

今回はこちらについて考えました。

 

この記事をご覧いただいている皆様、きっと、お気に入りのブロガーがいると思うのです。お気に入りのサイトがあると思うのです。

それは、そのブロガーやサイトの、文章やテーマの選択、読後感などの今までのブランドからお気に入りにしているのではないかな、と。

 

その一方で私は「ちょっと気をつけなくちゃいけないな」と思うのです。

ブランドは強固であるがゆえに、自分がその人の意見だということで鵜呑みにしてしまわないか、

他の、無名の人が同じことを言った場合に、同じ評価をできるだろうか、と。

 

ブランドはその人が築き上げた実績で、悪く言うつもりは全くありません。

それだけ支持される言動を積み重ねてきたのですから。

私が危惧するのは、自身の目利きが落ちる事です。

・いいもののはずなのに、無名の人が言っているからとるに足らないものと思っていないか。

・論理として不完全なのに、今までの関係があるから、良いものだと見做していないか。

 

これは私が趣味でやっていることなので、皆様に押し付けるつもりはありません。

私はこの目利きにこだわるのは、変化を起こす本質、新しいものが出てきた際にその本質を見抜けるようになりたいと思うからです。

誰かが良いといったから自分も乗ってやろう、は嫌なのです。

権威のある方が仮想通貨で儲けられるよ、と、例えば2017年初頭に言ったとして、それに乗った方はたいがい儲けているわけです。

私がその言をそのまま受け取らなかったとします。

仮想通貨を自分で調べて、結局乗り遅れたとする。それはそれでいいのです。

仮想通貨を自分で調べて、これは買いの一手だと判断し、儲ける。それはそれでいいのです。

自分で調べずに、考えもせずに判断もせずに、儲かったとしても、儲けに意味はあるけど空虚なのです。空っぽなのです。再現性がないのです。

 

知識と思考の定義をかんがえた」という記事もそんな意識から書きました。

稚拙かもしれないし、劣るかもしれないが、自分で論理を構築するとどうなるのだろうか、と。それは誰かの受け売りを覚えるより価値があるように思うのです。

 

先日の「実際に読んでみた、バカの壁」にてキルケゴール死に至る病を引用しました。WIKIで調べると偽名で書いたそうです。もしかすると、自分の名前・ブランドを除いた、文章の価値を測りたかったのかもしれません。

和歌の詠み人知らずも、著名人であれば名前を出すことが問題になるケースもあったでしょうが、純粋に、作品としての価値を測りたかったケースもあるように思うのです。

 

また、

先日「いい情報とは、それを担保するには何が必要かをかんがえた」という記事を書きました。

これはSteemitやALISという、ブロックチェーン上にブログの文章をのせ、トークンによるインセンティブを与えることで情報の集積を図るとともに価値の選別を目的したプロジェクト、に対する前提として考えたものでした。

ここで新たに、「良い情報」を選別する提案があります。

 

あえての匿名性です。

 

あえて匿名で書くことにより、文章そのものの価値を判断するようになります。

たとえばALISで有名ブロガーのちきりんさんが出てきたらどうします?

みんな、ちきりんさんが記事を書いたら、読まずに、まず最初に「いいね」をすると思うのです。

ちきりんさんの文章は、人による好みの問題はあれど、論理が破綻していることは相当少ない。「いいね」が増えるに決まっているのです。みんなF5連打、クリック競争でトークン獲得。これはあるべき姿ではないでしょう?

 

デメリットとしては、責任の所在コストメリットがあります。

つまり、匿名だから何を書いてもいいという、2ch化の恐れはあり、だれもがよりどころのない中で、無駄に文章を読むことに時間を費やしてしまう。それはバランスの問題ですが、ブログ文化自体を停滞させます。

 

どちらがいいのでしょうか?

 

参考情報

 死に至る病 - Wikipedia