かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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ソーシャルレンディング業界と銀行に必要な能力

三連休で本を読みまして。

捨てられる銀行という刺激的なタイトルの本です。三部作。

私がソーシャルレンディング、貸付型クラウドファンディングに興味を持ったきっかけが書かれた本です。

 

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投資信託などの商品設計が投資家保護に資するものでなく、むしろ、投資家と販売会社の情報格差を利用したものになっている点などの話。

金融庁が大蔵省から「財務と金融の分離」という名目のもと、分かれ、そして作成された金融検査マニュアル。

トラバンとリレバンというくくりから見る、生き残る銀行の資質。

若者には共感が必要だ、という、私にはいまいち首肯できない流行りの主張。

数字に落とし込まれた会計情報以外の部分が重要であるという話。

 

この三部作は、特にフィンテックなどに興味がある方は、最新作だけでも目を通しておかれるとよいかと思います。

 

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大筋の流れは

・銀行業が本業(お金の貸付)で稼げなくなってきた

・別表含む金融検査マニュアルによって、業務が形骸化したことの影響

・銀行業は差別化が必要

・そして最新版の本では、生き残る差別化としてのリレバンと具体的な企業活動の紹介

こんな感じです。

 

金融検査マニュアル自体は(将来のものを含めた)不良債権を減らし、体制を整備する意味合いで良いもののはずです。

しかし、それを金科玉条としてしまったのが良くない。

守らればならないものではなく、これを守っておけば誰からも責められないものになってしまったように感じます。

 

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ここで、「リレバンとかトラバンとか、わかんない」と思われる方がおられると思います。

本文にも説明が書いてありますが、私の理解を書いておきます。

リレバン・トラバンとはリレーションシップバンキングトランザクションバンキングの略です。

それぞれ、銀行業務の中の業務内容を総称する名称です。

トラバンは、預金であったり住宅ローンだったりと、どこでも同じようなサービスが行われるのに対し、リレバンは、企業の財務諸表に表れない価値を評価し、企業のサポート役として地域社会に貢献するという役割です。

 

当然、トラバンはコモディティ化しきっており差別化できません。

特に

少額の送金は銀行振り込みがそぐわない状況です。

 

ちょっと銀行業に興味がある学生なら、何となく描いているイメージの一つ、企業のコンサルタントとしての役割を担うのがリレバンとなります。

 

私はコンサルタントという肩書があまり好きではないので、上記ではサポート役と書きました。学生が描くイメージはコンサルという肩書の方が良いようです。どちらでも同じ意味合いです。 

 

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では、リレバンを強化するためには何が必要か?

上述の通り、企業のサポート役ができればいい、と。

 

では、それを実現するのに必要な要件は何か?

企業の財務諸表に表れない価値を評価だ、と。

 

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会計に詳しかったり、わからないものの中からわかっていることを定量分析する人をみて、「何でもわかると思っていないか?」なんて見当違いな意見を言っている方を稀に見ます。

会計を勉強していて、その数字がすべてだと思ってる人なんていないように思います。

いるとすれば、その人はモグリです。

 

数字として表れている部分だけでも、会計の処理の仕方にはある程度の自由がありますし、数字が適正かどうかという判断では監査人と企業の折衝があります。

著者が上場企業のCFO(当時はそんな言葉はなかったそうです)のある本によると、会計士と処理の適正性に対して大喧嘩を行い、政治力でねじ伏せたそうです。会計士は泣いていたそうです。

この話は、このCFOの自慢話・武勇伝でなく、その会計士がみっともないという話でもなく、CFOによるその会計士の倫理観の高さを称賛するという内容でした。

会計士は企業と契約を結んで財務諸表の適正性を監査してもらいます。

企業は、会計士にとってお客様です。企業からお金をもらって監査をするからです。人情として、お客様の言い分を拒絶するというのは(例えそれが、虚偽記載等が発覚した際に被る、企業のダメージを防ぐという長期的な視野に沿ったものであったとしても)なかなか難しいものだと思われます。

 

そういう話を知っているので、四季報などを見ても、私でしたら「どこまで正しいのかねぇ?」なんて思うのですね。

 

また、会計は誰がやっても手順通りに行われれば、同じ値が出なくてはいけません。

その意味で、非常に定式化された手続きではあります。

一方で、全体の中から「わかる」もの、数値化できるものを何とか出せないかという研究は進んでいるはずで、それが例えば、「ブランド」なのです。

現状では、買収された際の「のれん」であったり、企業の株価時価総額と簿価総額の差分として見られます。

PBRとしても結構です。

 

会計でその企業のすべてがわかるという事はありません。

数字自体が操作されていることはあり得ますし、数字に出ないものがあることを知っているからです。

一方で数字に出ていることからわかることも、相当数あります。

だから、冒頭のような発言をする方は、金融庁マニュアルを聖書のごとく扱う銀行員と同じように、財務諸表(きっと注記まで読まないでしょうが)を同様に扱うのではないかと思うのですね。

  

「わからないものをわからないまま受け入れる」というのは耳障りがいい言葉です。

しかし、それは、私から言うと「わかろうとする努力の放棄」です。

「どうせわからないから、サボっちゃえ」という言い訳でしかありません。

「財務諸表に乗ってないのがおかしいんじゃねーの?」 

いやいやいや。

 

「わからないものがある」という事を大前提として、正しく定量化すると、これ(現状の会計)はわかる、と。

それを踏み越えて、さらに、わからない定性情報をわかろうとする姿勢そのものがリレバンを強化し、企業のサポート役として今後の銀行に必要とされる能力のはずだと思うのです。

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ソーシャルレンディング業界でも構造は同じです。

お金を貸し付けるための目利き、なんて私は表現するのですが、ノンバンクは総じてその能力こそがコアコンピタンスです。

 

その企業にどれだけ貸し付けても大丈夫なのか、担保価値はいくらなのかという与信能力。事故が起こったときに回収する能力。

 

逆に、その目利きが無いのに、財務諸表を参考情報として責任を押し付けるのは、お金を貸す主体としての責任感に欠ける行為です。

「財務諸表はこうだが、こういう情報からこう判断した。」というのはアリですが、「財務諸表がこうだから、私に責任はありません」というのはナシです。

 

銀行のその能力に疑問符が付く今だからこそ、目利き力があるソーシャルレンディング事業者にとっては狩場だと思うのですが。

残念ながら、詐欺(のような事故)が多発しているのが残念です。

 

目利きができない、回収もままならないのであれば、その事業者がやっていることはITシステムに置き換えられることです。

手数料だけとって、形式的な手続きしかできない事業者は害悪以外の何物でもありません。貸し手や借り手にできないことをやるからこそ、存在意義があるのです。

貸し手にとってそれは目利きであり、借り手にとってそれは迅速で大量の資金調達です。

 金融庁の監督や法制度の問題をクリアできるのであれば、それこそ事業者を介さないP2Pビジネスが流行る事でしょう。

貸し手にとっても借り手にとっても、手数料がかからない分コストが低減されるからです。

そして、貸し手としての個人が借り手の状況を把握する、なんて芸当は普通出来ないと思われますので、スコアリング事業が盛り上がるように思われます。

つまり、ソーシャルレンディング事業者の究極は、スコアリングであり、ファクタリングであり、事故案件の回収代行という分化になるように思えます。

 

一方で銀行は、機能の分離が起こるのかもしれません。

 

最後に。

この三冊に幾度となく出てきた「フィデューシャリー・デューティー」ですが。

金融庁の認可を受け、監督を受けている事業者で、それを果たしている事業者がどれほどあるでしょうか。

突如としてフィデューシャリー・デューティーが喧伝され、それが官庁に受け入れられたのは、トップが剛腕であったからというのは一つの要件です。

実際は、国として年金を払えない体制になり、自分で資産を築いていってもらうほかに道がなくなった。だから「貯蓄から投資へ」というスローガンのもと、金融庁がその中でできる事をやるほかなかった。

そんなところではないでしょうか。

 

昔は、国民が金融に合法的なカツアゲを受けて、今は国が全力でお化粧をしてカツアゲ行為と、国策の怠慢または失敗の責任をごまかしている。

そんなところではないかなぁ、と。

 

ではでは。

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