かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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ファンについて考えた

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騒動の女史、私はもの知らずなので存じ上げませんでした。

ご本人がブログにまとめてらっしゃったので読んでみました。

ご本人が考える「いいファン」とはどんな人という記事も読んで見ました。

 

私は女史の

「お金を使ってくれない人はファンと呼ばない」

という言葉に違和感を覚えた一人ですが、よくよく読んでみるといくつか齟齬があると思いましたので記事にしてみました。

 

私は、「女史は、誤解を生む言葉だったが、考えていることは真っ当」だと思います。

 

何かのコミュニケーションには行き違いの可能性があります。

ton96o.hatenablog.com

 

炎上商法だ(=+-ひっくるめて注目を集めたい)という意見があるようです。

しかし、私はそうだとは思っていません。

 

私は、ファンと顧客を分けて考えており、ファンは潜在的な顧客だと思います。

なのでファンという言葉を安易に軽視する言葉は慎むべきだと思います。

 

ここで女史の言葉を引用します

「お金を使ってくれない人はファンと呼ばない」

好意的にみると「(将来的にも)お金を使ってくれない人はファンと呼ばない」という意味だったように思えるのです、

 

全体をとおして

・人間としてだけでなく、ネット上の理想にファンになっている方がいる

・ファンの中には困った人たちがいて、私が最大限のアウトプットを出す邪魔をする人である。

・そういう人たちは、「自分たち」が得をすることを望むので、本来のファンである「才能を買ってくれる」人とは違う

・本当のファンであれば、私の才能を買ってください

・本当のファンであれば、私に最大限のアウトプットを出す手助けをしてください

ということだと思います。

 

私もボリュームは比較になりませんが、技能を買ってもらうことがありました。

時間を切り売りする性質のもので、技術の研鑽や顧客への質の高いサービス提供のためには無駄な時間は取りたくありませんでした。

しかし、自分だけが得をしたい人は、時間を要求してくる。わかります。

 

ファンになったら、その、「いいな、と思った才能」を大事に考えてあげるべきだと思います。

自分だけの○○さん、という考えは高校生までで終了しましょう。

自分が好きな野球選手が、オラが村で無料握手会をして、腱鞘炎になって引退したら、、、悲しいでしょう?

それは、無料握手会を企画した理念が正しいファンとして間違っていると思うのです。

(新幹線でたまたま乗り合わせて握手、くらいはしてくれると思いますが)

 

自分が好きになった才能が、最高の仕事をする邪魔は、野暮ってもんですよ。