からくりサーカスという漫画で、登場人物が進化について話をしていました。そこで主人公が「進化でなく変化だ」と言います。それまで侃々諤々の議論をしていた登場人物は言葉を失います。
うろ覚えですが、こんな流れでした。
いいですね。
進化は誰かの主観が入ると思います。
ある動物は目はあっても視力は悪い。これって退化でしょうか?
学問上の正確な定義は知りません。ですが、夜行性の動物なのであれば、視力にかかるコストを落とし、その分暗闇で効果を発揮する別の性質にコストを払う。それは進化と捉えることもできると思います。ハリネズミは夜行性で、視力は悪いですが嗅覚に優れているといわれています。
学問上は能力が落ちたので退化なのかもしれませんが、全体最適化のためにコスト削減した進化、とは捉えられないでしょうか?
そのあたりを勘案して冒頭の漫画の主人公は変化と捉えたようです。
実際、WEB上、実務上、書籍においても「変化をしなければいけない」「変化を怖がってはいけない」という言葉にあふれています。米国オバマ元大統領の影響もあるのかもしれません。
ここで、私は、現状にくぎを刺します。
変化することしか考えないのは危ない。
なぜか。
流行り言葉に踊らされて、変えてはいけない部分を変えてしまっている人・モノがいるように思えるのです。
外部環境は変わります。自分ではコントロールできないからこそ外部環境だといっても過言ではないでしょう。その変化した外部環境に対して、自分が生き抜くために最適化(今後の予期せぬ変化のために残しておく余力も考慮、注意)することが必要であって、変化そのものは目的ではなく手段です。
適切な時に、適切な部分を、適切に変化させることが大切なのだと思います。
そこで私は、メジャーに言った野球選手がよく使う言葉、アジャスト(適応)を推します。
イチロー選手は振り子打法を変化させましたが、それはイチローのスタイル、~ヒットを打ち、盗塁をし、固い守備と広い守備範囲、そして強肩を通じてチームの勝利に貢献し、ファンに喜んでもらう~ をアメリカで実践するために必要であったことで、振り子打法自体は手段ではなかったのだと思います。
一方で、野茂選手はトルネード投法を変化させませんでした。(マイナーチェンジはしたかもしれません)それは野茂選手のスタイル、~ストレートとフォークを武器に打者をねじ伏せ、チーム(ry~ をアメリカで実践するために必要ではなかったからではないでしょうか?
変化自体、リスクを含みます。
しなくていいのであれば、変化しない方がいいのかもしれません。
今まで調子がいいのに下手に改善しようとして改悪になった場合、外野が「ほれ見たことか」と囃し立てます。変化しろという人は、「必要な時に変化できる人間になれ」というべきなのです。「変化すべき時と、どこをどのように変化すべきか見極める目を持て」というべきなのです。
適応しなければならない、適応を恐れてはいけない。
変わらない判断も必要だと思います。