かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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変態仮面と戦略について考えたこと

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年末、アマゾンプライムを利用して、変態仮面の映画を見ました。

話題になっているのは知っていたのですが、他の多くの映画と同じく、映画になればレンタルで見ればいいと思い、レンタルになれば「いつでも借りられる」と延び延びになっていたものです。

評論は、特にしません。

変態チックな正義の味方(?)だなぁ、と。

 

ここで面白かったのが、変態仮面の変態とは、変態とは言いつつも、その変態性は理解されるものだと気づいたことです。

(ここでいう理解とは、

 納得される・許容される、「わかる、わかるよ!」、という意味合いではなく、

 「(自分は違うが)そういう人もいるのかねぇ?」という意味合いです)

 

どういうことか。

 

本物の変態であれば、理解の範疇を超えているので、もはや変態と呼べないのです。

ここで私が言う「本物の変態」はその定義上、理解を超えているので具体例すら出せません。

そうなると「シャレにならないから笑えない」どころか「そもそもお話として理解ができない」ということになります。

つまり、現実の「理解を超えた変態」がどうなのかは知りませんが、エンターテインメントとしての「変態仮面」は、常識を外れつつも、理解の範疇に収まっている。だからこそ意味がある。ということになります。

 

 

ビジネスにおける戦略、に視点を移します。

 

戦略は、勝ちへのシナリオです。

撤退戦略もありますが、その場合、損失を少なくできるだけ収益を上げつつ撤退するのがその戦略の、勝ちです。

こういう外部環境があり、自社の内部環境からこういう順序で目標を達成する。考えられる競合(ポーターの5フォース分析をイメージしてください。補完財の勘案が微妙ですが6thは考えなくても結構です。6thの他の要素は最初にPEST分析するはずなので省略。)はこういう手を打ってくると考えられるため、こちらはこういう手を準備しておく。

私の理解する戦略は、相当単純化しましたが、上記のとおりです。

 

私は何かを行うというのは線分に例えられると思っています。

始点があり、終点があり、直線で結ぶ。

いつから始めるか、何をもって終わりとするかは人の意志で決める事。

それが決まれば、あとは最短距離を目指す。

 

戦略でいうところの終点は利益の最大化という点で一致しており、KPIが定まることでしょう。

始点が難しい。

いつから、という点は半ば強制的に決められるかもしれませんが、どのように行うのかが戦略を立てる際の手腕。

 

「バカな」と「なるほど」 という本があります。

乱暴に要約すると、

意外性のある、しかし、実現性のあるやり方で立てた戦略が良い戦略

という本です。(無茶苦茶な要約です。未読の方は是非ご一読ください。)

(私は薄い愛校心から「バカなる」と略して呼びますが、余談です)

 

意外性がある、だから、他との差別化ができる。

しかし規模が大きければチームで動くので、説得すれば理解してもらえるものでなければならない。

戦略は立案も実行も大事ですが、私は「実行>立案」だと思います。

特異な戦略は皆に協力してもらえなければ、実行力が欠けるがゆえに夢物語で終わるのです。

 

王道では勝てない。

差別化を図るために、半歩ズレなければならない。

それは理解の範疇でなければならない。

 

変態仮面は常識を知っているが故の、変態仮面

まさに、仮面を被った変態(本当は常識人)なんでしょうね。

 

常識外れは、常識かぶれより、常識人でなければならない。

皮肉です。