先日、「武器としての書く技術」を読みました。
ブログとして書くことの技術だけでなく、それによってどんな効果が得られるのか、書く技術についても触れられていますが、それはなぜそうするのかを説明しています。書くことに対する哲学と熱意が感じられる一冊でした。
今回の題名はそちらを、もじったものになります。
「今後の、自己分析・人柄の評価について考えた」という記事では。今後の人格や人柄を見るのに、自然言語の塊と言えるブログがAIで分析され、客観的な情報を提供する可能性が大きいと書きました。
客観性が乏しい、面接による人柄診断に加え、こちらを加えることで、より詳細な情報を得られます。私は選択肢が増えることは良い事だと思います。
尚、選択肢が増えると次に起こるのが、選別です。
人は自由に選べる状態が落ち着かないのです。
むしろ、こういう時はこれを使いましょう!と指示される方がありがたい。
上記AI技術が進めばそういうコンサルタントが活躍すると思います。
新技術の使い方をコンサルするんです。
そうなると、多かれ少なかれ、書く技術が必要になります。
盛る必要はないですし、うそを書いてはいけません。上手な格調高い文章を書く必要もありません。
相手に誤解なく伝わる文章を書かなくてはならないのです。
誰しも経験があると思います、そんなつもりで言ったんじゃないのに。
相手が意図的に曲解したり、客観的に相手の受け取り方が悪いということもあるでしょう。
しかし、自分の伝え方が悪く、誤解を与えることもあるはずなのです。
AIによる性格・人柄分析がある世界では、それは致命的です。
AI様に「この人はこういう人だ」と判断されれば、使う側としては参考情報にとどまらず、妄信してしまう可能性があるからです。
特に黎明期・混迷期においては、そうなるでしょう。
ブログの文章は自然な言葉でよいかもしれません。
だからこそ人柄が出ますし、キャラが立つブロガーがいます。
しかし、一方で皆に誤解されやすい文章を書いて、AIに誤解されるとなると、せっかくの人柄が曲げて理解されてしまいます。
人は第一印象に強く左右されます。
防具としての書く技術は、伝えるべきことを伝え、誤解から自分を守る技術です。
武器としての書く技術はあった方がいいものです。
防具としての書く技術、伝える技術は、身に着けておくべきものだと思います。
今後、私は防具としての書く技術を考え続けていきます。
一緒に考えましょう!
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