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自動運転を例に新技術が社会に与える影響を考えた

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jp.techcrunch.com

トヨタが公道での自動運転テストを中止したというニュースが報道されました。

これに関連して、新しい技術が実用化されるまでに起こる社会への影響を考えたいと思います。

 

まず、技術が実用化されるまでにどのような変遷をたどるのかを確認しましょう。

わたしは、基本「効用の具体化・言語化」→「実現可能性の追求」→「マネタイズ」→「販売・競争」という変遷をたどると理解しています。

 

4つのステージがあるのですね。

それぞれを自動車を例に見てみましょう。

「効用の具体化・言語化」は移動時間をなくしたい、短縮化したい。

「実現可能性の追求」は、どうすればできるのかという研究。

「マネタイズ」は、採算可能な商品としての生産を可能にする。

「販売・競争」は、消費者に対し商品を販売し、競合との競争に打ち勝つ。

 

それぞれの間には、難所があります。

魔の川:ResearchからDevelopmentに生じる難所

死の谷:製品化を目指す研究から実際に製品にするまでに生じる難所

ダーウィンの海:製品が市場で生き残っていくという難所

 

それらを超えるために

魔の川では、そもそもの目的としての効用が意味があるのかを検討します。その上で、効用を得るために、どのような手段があるのかを数多く見つけ、その手段が論理として無理がないのかを考察する必要があります。論理として無理がなければその実現可能性を調査し、どの方法がベストかを探ります。(魔の川を超える。私はここがキモだと思っています。)

死の谷では、プロトタイプを作ることが目的となります。α版や0号機、となるでしょうか。プロトタイプを作った後、実際に採算可能な商品になるよう、改善するのです。

ダーウィンの海では、ここで一言では言い表せない戦術・戦略があり、マーケティングの問題であり、経営の問題でもあるので省略させてください。撤退戦略を忘れてはいけないことを特に注意として付記します。

 

同じ内容をより詳しく書いてらっしゃる方いましたのでリンクします。

研究開発マネジメントノート

 

これらが一般に、学校で習う技術の製品化の流れになります。

 

ところが、今回の自動運転のような技術では、それだけでは済まないように思うのです。

1)法律の整備

2)保険の整備

3)トラブル時の対応の整備

4)消費者の教育

 

1)法律の整備

自動運転している車が事故を起こしたら誰の責任になるのでしょうか。

メーカーでしょうか?所有者でしょうか?

所有者になるのなら車を貸与していた場合はどうなるのでしょうか?

法律は帰納的に、慣習やその時制を反映されて決まる」という理屈は通りません

事故が起きれば人が亡くなることがあります。

法律を作っていませんでした、で済む話ではありません。

備え得るものには備えるべきです。

 

2)保険の整備

ファイナンシャルプランナー検定ではリスクマネジメントとして保険の勉強をします。

保険はリスクに他する備えです。

自動車をお持ちの方は自賠責はもちろん、任意保険にも入っていることでしょう。

自動運転に関する保険には保険会社は頭を悩ませることと思います。

自動運転は、AIなどの新規の技術が走っているといってもいい。

一方で保険は統計の塊です。アクチュアリー大活躍。しかしそれは多数の実績に基づいた対象において有効に機能します。

昨日の料率では今日の保険金を賄えないかもしれないのです。

新規技術に対する保険では、保険会社にも技術の専門家チームが置かれることになるでしょう。

もしくは、(これが一番可能性が高そうですが)保険金額(保険会社の支払限度額)が低くなる。か、その分野には手を出さない。

そういうわけにもいかないと思うのですが。

 

3)トラブル時の対応の整備

自動運転に関連して、ある車のデザインが私に不快感を与えました。

社内の内装が、ぐるりソファーが取り囲み乗車した人同士がラウンジよろしく談笑できるような、そんなデザインだったのです。

ハンドルも無いようでした。

自動運転が故障したらどうすのでしょう。

万が一の時、マニュアルで動かす術は残しておかなくてはなりません。

また、自動運転に関しては、本体の複雑化によって整備の難易度が飛躍的に上がると考えています。今現在でも整備工はなり手が少ない、にも関わらず、この仕打ち。ありえない。

わたしなら、シンクライアントのような構造を目指します。

シンクライアントとは使用者が使うPCの形式で、その用途はただの表示装置です。処理やデータの管理はサーバーに任せる方式にすることでセキュリティを保持します。例えばPC端末を盗まれたから、顧客情報を抜かれた!なんてことを防ぎます。

同様に、自動運転の本体を、ただの走行装置にします。位置情報は欲しいのでGPSは残すとしても、処理はサーバーに任せます。これにより、テクニカルな整備をサーバー側に集中させ、そこにテクニカルな整備者を配置する想定です。

え?電波の具合で処理に遅延が起きるって?

いやいや、そんな状況で自動運転が使われるわけがないでしょう?

少なくとも今の自動運転は、相当、条件が整っていないと機能しないはずです。本当に必要としている高齢者や障碍者の方が使ったりできないと思いますよ。

例えば限界集落。ここで自動運転が使えるんでしょうか?GPSはギリで届くのでしょうが、Wi-fiすら微妙でしょう?そこで年老いて買い物に不自由している方が自動運転でQOLが向上する、というのは素敵ですが現実的ではありません。むしろ、スーパー側が移動販売する方法の方が現実的でコストが安い。

自動運転は、少なくとも今は、インフラの整った、何かあってもすぐに処理ができるところで使うものだと思います。

 

4)消費者の教育

私は、自動運転に関して、このような未来を想像しています。

「交通渋滞のない世界」

これが実現されるためには、個々の自動車が会話し、交渉し、時には商談することで経路の交通量を最適化する必要があると考えています。

つまり、個々の自動車が「あそこの道がすいている!いっけー!!」という判断をしたら、他の車も同じように情報を処理しており、結果、渋滞。というのはナンセンスだと考えているのです。

人によっては中央集権だととらえる方もいるでしょう。

この場合、中央集権で何が悪いでしょう?何か不都合がありますか?

重病人を乗せた車があれば、他の車と交渉し、優先的に道を譲ってもらえる、実にエレガントな未来ではないですか。

一方で、ブラックカードを持ったお金持ちが、お金ですいている経路を買うかもしれません。その場合、上記重病人のような事情とかち合うと、どういう結論を持っていくかで世論が分かれると思います。

そのような問題を含め、新しい技術には、明示的・黙示的に消費者への教育が必要になると考えます。(体験といってもいいかもしれません)

上記のお金持ちと重病人の例は、1)に該当する話かもしれません。

影響の大きい新技術は、消費者及び社会を巻き込み、論争を引き起こします。

 

 

より良き未来を願って。

 

参考情報

 研究開発マネジメントノート