イノベーションのジレンマという話があります。
今回はそれについて考えました。
一般にイノベーションのジレンマは以下のような話として理解されます。
「大企業が新技術に対し、積極的に投資を行わなかったため、先見の明がある小さな企業に出し抜かれて後塵を拝することになる」
特に判官びいきの日本人にとって、「小さいものが大きいものを倒す」という点はカタルシスを与えてくれるものらしく、多くの人々に好意的に受け取られます。
まずは、このイノベーションのジレンマについて、丁寧におさらいしたいと思います。
グロービス経営大学院はこのように解説します。(tonによる要約・変更有)
「イノベーションのジレンマとは、業界トップになった企業が顧客の意見に耳を傾け、さらに高品質の製品サービスを提供することがイノベーションに立ち後れ、失敗を招くという考え方。ハーバード・ビジネススクールのクレイトン・クリステンセンが提唱した。
1)新技術を利用した製品の質は低く、大企業は自社の製品として出したくない
2)大企業は90点の製品を95点にしたがるが、新技術が発達し顧客がそちらに目を向ける間隙を新規企業に攻められる
3)成功している企業が新技術に投資対象としての魅力を感じなかった
革新的な技術やビジネスモデルで従来の企業を打ち破った企業が、大企業になると革新性を失ってしまう状態や、さらに最先端の技術開発をしても成功に結びつかない状態などを、総じてイノベーションのジレンマと呼ぶ。」
どうやらイノベーションのジレンマは、
・競争に勝ち抜いた大企業が陥るもの
・革新性を失った結果、陥るもの
・顧客の声を聴くが、逆説的に顧客に価値を提供しきれていなかったこと
が原因で起こるようです。
業界トップ、ということは大企業、ですよね?
ここで、逆に、イノベーションのジレンマが起こっていない大企業がないのかを考えてみたいと思います。
というのも、新技術の情報などは、産学連携のベンチャー企業(中小企業がフカしてるのではなく、武器を持った本当の意味でのベンチャー)が独占的に持っているもの以外は、ある程度漏れ聞いているものだと思いますし、ベンチャー企業が何かを作ろうとしている、作ったのであれば、大企業がその資本力を持って追い付き、追い越せるのではないかと私は考えるからです。
例えばトヨタはどうでしょうか、ハイブリッドカーや電気自動車、自動運転など、自社のコアを活かしつつ、うまく時代に乗れている気がします。
ところがGoogleで「トヨタ ○○」と打つと「遅れ」等というキーワードが補完されてしまいます。
皆様ご存知の通り、Googleのキーワード補完は、そのキーワードで検索されていることが多いことの現れです。
ふむ、トヨタは新規技術について先頭集団にはいないのかもしれません。
この事例はイノベーションのジレンマが大企業で起こることの補強材料になりますね。
では、さらに前に立ち返って、イノベーションのジレンマが観測されないとき、誰かに「あそこの会社はイノベーションのジレンマが起きている」と指摘されないのはどういうときなのかを考えてみます。
・新技術が実用化されていない状態
・新技術が実用化されており、新興企業が、まだマーケットを支配していない状態
仮想通貨におけるMUFJがいい例かもしれません。
大企業ですが、むしろ、新技術に対して積極的なイメージを受けます。
さらには大規模なリストラや効率化を掲げ、新時代の銀行のビジネスモデルをリードしていくイメージもあります。(行内で働く人は大変でしょうが)
ということは、イノベーションのジレンマは、大企業であっても、マーケットを奪われ凋落していないのであれば、その点の指摘を受けることはないのではないでしょうか?
どのような時に、大企業がマーケットを奪われ凋落するかと言えば
大企業病と生存バイアスから抜け出せず、既存のビジネスに執着し、顧客に見放された時です。
大企業病とは、組織が大きくなることによる弊害化です。
例えば官僚主義、部門間のセクショナリズム、社内政治や社内向けの仕事の増加。
(官僚主義は、杓子定規な判断や前例主義として悪くとらえられることが多いですが、高度な分業化と捉えることも可能です。)
生存バイアスとは、今までの成功体験を一つのロジックを超えた価値があるものとしてとらえてしまい物事の判断基準を誤らせてしまう事です。
ということは
・競争に勝ち抜いた大企業が陥るもの
・革新性を失った結果、陥るもの
・顧客の声を聴くが、逆説的に顧客に価値を提供しきれていなかったこと
が原因で起こるようです。
と書きましたが、大企業である必要は必ずしもなく、大企業病と生存バイアスに陥った過去の成功者が陥るものであるようです。
次に革新性ですが、「進化と変化と適応」にて、
適時的確に適応することが大事なのであり、変わらなくてもいいのであれば変化しなくてもよい。そのタイミングを見極める目と、いつでも変化する覚悟と変化できる状況を備えておくべきだ。変化は目的ではなく、適応するための手段だ。
と書きました。
大企業病と生存バイアスに陥った組織は、外部環境の変化に適応できそうにありません。
最後に顧客の声を聴きすぎることについてです。
企業は顧客に対し、価値を提供することでビジネスを行っています。
顧客の声を聴け、それ自体とても良い事のように思えます。
しかし、多くの人が指摘している通り、顧客は消費のプロではあっても財やサービスを作るプロではありません。問題解決のプロではありません。問題にすら気づいていないかもしれません。
顧客の声を聴きすぎることは、価値の創造ではなく、単なる御用聞きにビジネスの質が低下しているのです。(仮説の検証ならば、アリ)
顧客の皆様、あなた方は本当はこれに困っているのです、この製品はこう使うことであなた方の問題をこのように解決できます。(もしくは、現状を超えた快適な生活を手に入れられます)
それが企業のやることです。
御用聞きに注力していては、本当の問題を見失い、ゆえに必然的に価値ある解決策を実現できません。
私は、イノベーションは天才かボンクラが作るものだと思います。
多くの人ができることを、自分はできない、それがボンクラ。
多くの人ができないのであれば、それは問題視されません。
秀才は、現在あるもので何とか皆が納得できる解決策を作ってしまうのです。
「これ以上は技術の問題でできない」
なるほどね、と皆が納得します。
しかしボンクラは違います。
ある程度材料があっても解決策を作れないのです。
悔しくって悲しくって、ボンクラだと罵られ、蔑まれ。
そんなボンクラを助けてくれるのがイノベーションです。
一気にやり方を変えてしまわなくては、解決できないのです。
秀才は今までのやり方に固執し、90点のものを95点にすることに汗を流すかもしれません。
ボンクラは、今までのやり方では戦えないから、何とか生き残るために新しやり方で戦いに挑みます。
新しい世界は秀才ではなく、天才かボンクラが作るのです。
天才も素敵です。
でも、私はあきらめないボンクラを応援したいです。
参考情報
?