さきほど、本当につい先ほど書いた記事「考える技術書く技術、を読むべきだという話」についてご意見を頂きました。
ありがとうございます。
アイキャッチにこの画像を使ったのですが
その方、曰く「社会の問題を解決することが価値だとすれば、問題を見つけなければならない、それは考える事=整理する事の前提という事でしょうか?問題を見つけるために考える事もあるのでは?」というものでした。
ご意見の内容は理解しましたので、考えてみました。
こちら、仰ることは理解できます。そして、私の感覚・考えとの差異を整理できましたので、順を追って説明します。
社会の問題を解決することが価値、おっしゃる通りだと思います。
ここで問題の整理を必要としない人が二種類いる事がわかります。
1)問題を認識できない人
2)問題を整理してしまった人
そうでない人は整理されていない問題を認識しているので、整理するフェーズに移っていきます。
1)→そうでない人→2)
です。
まさにここの時点が、ご意見をくださった方と私との肌感覚の違いです。
私は、問題点がやたらと目につきます。上記でいう、1)からすぐに「そうでない人」に脱却していると思います。
影響力を概算し、優先順位をつけ、因果をみつけ、それらを検証するのに忙しいので「何を問題として考えるか、という整理を行う事はあるが、問題そのものを見つけるのに考える事はない」のです。
私の肌感覚では作業に近いものです。
一方で、ご意見をくださった人は1)の状態で考えて、「そうでない人」になろうとしているのでしょうか?
でしたら、これは、問題を見つけるのに慣れてないのはもったいないと思います。
問題はあふれているので、すぐにとっかかりを探して、検証作業に入った方が良いです。考える時間は有限ですので、ザクザクと問題を発見して、因果を整理し、問題の根っこに到達すべきです。
もしかすると、「何を問題として考えるか」という、解決すべき問題の選別作業、という意味なのかもしれません。
ですが、それが正だとすると、頂いた文章ですと「問題を見つける」という文言がしっくりきません。「真の問題」、「解決すべき問題」という意味合いでしょうか?
きっとそうですね。
であれば、我々は同じ思考を持ち合わせています。
問題それ自体を見つけるのは簡単です。あふれていますから。
解決すべき問題を見つけるのが難しいのです、資源は有限ですので対象を絞るため、考えるプロセス・整理するプロセスが必要ですから。
その点、良い本がありますので、後々紹介します。
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