値段がつくと、それは市場での取引が成立した証左。
売り手にとっても買い手にとっても良い事のように思えます。
その逆もあるようです。
ちょっと面白いインシデントがあったので、それに対して考えてみます。
私に起こったことです。
ある会社のシステムを利用していると、不具合に遭遇しました。
その会社のサービスはシステムを使わなければ利用できません。
不具合によりシステムを利用できないのであれば事件です。
しかし、幸いにも回避策はあり、サービスを利用するのに支障はない状態でした。
このまま放置されても困るし、他の方が同じ目に合うのもよろしくないので、相手会社様に連絡をし、修正を待ちました。
しかし、待てど暮らせど連絡がこない。回避策すら通用しなくなって再度連絡をすると数日で不具合は直りました。
そのあとの対応がいけない。まったくもってイケてない。
その会社様から私に3000円分のQUOカードが届いたのです。
金額的には人を馬鹿にしたものですし、私はそのような見返りを望んでいないのです。
アンダーマイニング効果の一例になるでしょうか?(少し違う?)
とてもとても、嫌な気分になりました。
QUOカードは郵送で返送しました。
ここで興味深いのが、3,000円分のQUOカードが0円を超える働きをしなかった事です。
会社様としては、私に対する心遣いということでくださったのでしょう。
迷惑をかけたなぁ、とか、諸々のやり取りを含めたカタチだったのでしょう。
わかります、理解できます。そういう事もあるでしょう。人間ですもの。
ですが、私は、受け取りたくなかった。
それよりも、真摯にこの状況を受け止めて、改善してくださる方が良いのです。
それは値段がつけられるものではなく、QUOカードを送ること自体が失礼な事だと、そういう共通認識が欲しかった。
その会社様はここ最近でできた会社ではありません。
おそらく今までも同じような事例があり、今回も、ということでの対応だったのでしょう。
そう考えると、普通の人だったら、あっさり受け取って終わりなんでしょう。
私が子供なのかなぁ、とか。受け取るのが優しさなのかなぁ、とか。
色々と考えさせられました。
意固地になっているわけではなく、素直にあっさりと、出てきた感情が「うけとれない」というものだった。
これが300万円だったら受け取るのかというと、もちろん受け取らないでしょう。
考えても考えても、いくらであろうとも受け取らないと思うのです。私は。
自分なりに考えて出た結論が、「私は、なぁなぁにして終わらせたいのではなく、今後の対応策を聞いて、終わらせたい。そこにこだわりたい人間なんだ」という事です。
どうやら私は子どもだという事みたいです。
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