別の分野でも、一流二流という質の違いで考えていることは違っていたりします。その逆も然りでどの分野でも一流は考えていることが同じだったり、違う分野の一流が集まると、一流の前提条件を元にクリエイティブな考えが導かれるという考えもありやす。 https://t.co/Ysx0MNJzl2
— ton (@ton960) April 18, 2018
こちら、私のレスを引用元の方が理解していただいたようで、また、引用元の方の考えを私が理解していることも理解していただいたようで非常にうれしいやり取りなのですが、やや言葉足らずで「なんのことやら?」という方のために説明をさせてください。
演繹法はある定理から導かれる現象をロジックツリーとしてまとめていく考え方です。
帰納法はさまざまな具体的な現象からカテゴリわけや因果関係を整理してロジックツリーにまとめる考え方です。
ロジックツリーを主体にすれば、演繹法は幹から枝葉へ、帰納法は枝葉から幹へ流れていく考え方です。
では、帰納法でなぜジャンプアップが起きるのか。
丁寧に帰納法を適用すると、人間が近くできない一般常識からかけ離れた一般定理を導くことができるからです。
例えば、マーケティングの世界では有名な話です。
あるスーパーにて、安いお酒が売れている、と同時に紙おむつもなぜか売れている。
継続してデータをウォッチしいても、それはどうやら相関性がありそうだ。
それはなぜかと考えていくと、どうやら、そのスーパー周辺は新興住宅地で新婚さんが多い。
ゆえに、お子さんが小さく、可処分所得も低く、ゆえに、安いお酒と紙おむつが同時に購入される。
データマイニングの成果として紹介される事例です。
このように、細大漏らさず、現実に起こっていることをブレインストーミング行い、丁寧に因果関係を探り、そこから客観的に、大事な要点を絞り関係性を探り一般的で汎用的な原則を見つける。
実はこれだけでは足らず、外部環境の変化によって因果関係や大事な要点が変化した場合、再度、ロジックツリーを作り直す(PDCAサイクルを回す)
これによって、思考のジャンプアップ、今まで見えてこなかったものが見えるようになります。(私はまだ下手です)
日本企業で帰納法が発達していったのは、
・現場が強かった事
・チームワークが良かったこと
があげられます。
現場が強いと、大きな事がわからないから、どうにか家族経営で自分の第二の故郷である会社をよくしようと思うと、自分の手元からダウンアップで改善点を上げていくしかないのです。必然的に帰納法になります。
また、チームワークが良いと、大前提を説明する必要がなくなります。
常識が同じなのです。
これによりスピーディーな同意を得ることができ、それがまた快感となりチームワークは加速します。
想像できますよね?
一方で外国の企業はトップダウンであることが常です。
現場から数字が上がってくることはありますが、それは客観的で細大漏らさず数字としてあらわされ、尚且つ判断はリーダーシップがある経営者が行います。従業員はフォロワーです。
経営者の判断が間違えれば共倒れ。演繹法が苦手ならだめ経営者、となります。
じゃぁ、日本の企業はよかったのかというとそうでもないと思います。
私が思うに、
1)日本の企業は外部環境の変化に対する適応が下手
2)人間として、成功体験を捨てきれない
「今までこれでやってきたんだから見直す必要はない!」という考え方ですね。
おそらくこの考えは今でも蔓延っていると思われます。
2)は人間だから仕方ないとしても、1)はどうにかできるはずです。
これから外国人の労働者も増えてくるでしょう、今まで通り前提条件が同じだとは考えない方が良いと思います。
丁寧にロジックを説明していく機会も増えますし、その中で、「あれ、これ、実はおかしいんじゃ?」と気づくことも増えると思います。
ダイバーシティを推進していくメリットはここにもあります。
私は、一流の人同士の常識があり、彼らが組み合わされば、良いものが出来上がるという考えを持っています。
一流と二流の壁というものは存在し、考え方が大きく違うのです。
多分陶芸の一流の先生と、ピアノの一流の先生が話をしてもそれなりに盛り上がるのではないでしょうか?
そのような大事な部分(一流とは何かを知っている)の前提条件を共通認識としているため、一流のものをスピーディーに生み出せると思うのです。
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