なんとなくですが、
「考える」という言葉は「地頭」という概念と同じ雰囲気を持っている気がします。
自分はテストで点数が取れない、しかし地頭は良い、だとか
自分はテストで点数が取れない、しかし自分で物事を考えることができる、だとか。
どうも、「考える」という言葉がすごく甘美な響きを持って使われているような気がするので、その特徴を考えてみました。
考えるとはどういうことか。
辞書もネットも調べていません。
私の考える「考える」という行為は、前提条件の中から論理や直感を駆使して一つの結論を導き出すことです。
(仮説を立てて、検証していくという連続的なものだと思いますが、その単体をここでは考えたいと思います。連続体を対象とすると文字数が多くなりすぎました。)
直感というと、使うことに不安感をお持ちの方もいると思いますが、人間の感覚はバカにならず、当たることが多いのです。(後でそれなりの検証は必要です)
上記が絶対的な正ではなくとも、それなりに受け入れられる定義だとすれば、そこには前提条件を調達し、理解する能力や論理性、そして直感力と結論へ順序立ててまとめる力が必要となります。
考えることそれ自体、相当な大仕事だと思うのです。
そうであれば、誰かから「正解」を教えてもらった方が手っ取り早いと思う人がいるのも当然です。
事実、専門分野が全く違い、調査・検証ににそれなりにコストがかかる場合は聞いた方が良いのです。
独立されている方も会計周りは税理士にアウトソーシングしているでしょう?
自分の土俵で、考える。
それが原則だとは思います。そのうえで、考える行為は、お勉強した後、磨かれる行為だとも思います。考える事を放棄してはいけませんが、それなりの前提知識がない場合、考えたといっても高いアウトプットが出てくる可能性は低い。その場合、お勉強がやはり必要なのです。これは机上のお勉強、知識を詰め込むだけでなく、人と人とのかかわりや、自分の考えを相手に適切に伝えることにおいても、お勉強が必要です。
まずはある程度のお勉強を行って、その上で考える準備がようやく整う。
文系理系で分けるのは好きではありませんが、理系の大学生は多くが修士に進みます。それは理系の方が、自分の考えをまとめるまでの先人の知恵の量が緻密で膨大であるからです。
自分の考えを述べるにあたって、その前提条件を詰め込む量が相対的に多いのです。
前提条件をお勉強した。そして、自分の論理や直感を駆使して一つの結論を導いた。
先に書いたようにこれは大仕事です。
そうなると何が生まれるか。
こだわりです。
満足感です。
自信です。
あれだけ努力したのだから、という、払ったコストをもとにした「自分の考えたことは価値がある」というバイアスがかかってしまいます。人間は皆そうだと思います。
(しかしこれは間違いです。価値は払ったコストで決まりはしません。10分の勉強時間で100点をとった生産性と10時間の勉強時間で100点をとった生産性では前者の方が価値があるのです。)
それ故に、新しい考えがあれば素直に受け入れられないことが多い。
それは非常にもったいない。
ある企業様で、
「この○○はブランドを活かしきれていないので、、」
と話そうとしたところ、新卒間もないであろう女性社員の方から
「そんなことはわかっています!私もブランドは考えています!」
と反論されました。
問い詰める必要はありませんが、対価分の仕事をしなくてはいけないので質問をしました。
「あなたの考える「ブランド」とは何ですか?」
その女性社員の方は押し黙ってしまいました。
「一般的なブランドの定義でもなく、学術的なブランドの定義でもなく、あなたの考えているブランドの定義を教えてください」
恨めしそうにこちらを見るだけです。
意思決定者にこちらの考えを伝えたところ、それなりの対応策をとることが決定したので私の考えは理解されたのだと思います。
こちらの女性社員をいじめたいわけでも、論破したいわけでもないのです。
私の話をさえぎってまで、わめき散らすのであれば、それなりの考えがあるはずなのです。それを聞きたい。しかしその根本部分のブランドの定義を示してもらえない。
話になりません。
このような極端な例は少ないにしても、自分の考えにこだわる担当者様に、客観的なデータすら無視されてしまうコンサル業の方は少なくないようです。
客観的な意見を提案するためにいるのなぁ、とちょっとした恨み言を唱えつつ、私はじっくりと粘り強く考えを伝えます。
伝えたうえで、案を採用するかしないかは会社様次第です。
ただ、こちらもそれなりの調査を行ったうえでの提案ではあるわけで、担当者や社長の「野生のカン」等で一蹴されてしまうと何とも言えません。
考える事は諸刃の剣です。
誰かの意見に流されない為に、自分で考える癖はつけておいた方が良いと思います。
一方で、自分で考えたことに対する満足感やこだわりが強すぎると、あまり良い結果は産まないような気がします。