かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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アバターを見てノンバーバルコミュニケーションについて考えた

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「以上」じゃなくて「超えるもの」なんですけど。どうでもいいですね。

 

amazonの有料会員がとても多いそうです。

 

私もAmazonプライムという制度に入っています。

とても便利です。

昔の映画や、今の流行っている映画や漫画を見ることができてありがたく。

ニュースなんかも見られるようになると嬉しいですねぇ。

「からかい上手な高木さん」という漫画がとても面白かったんですが、私が見た時期が悪くて最終回だったようです。Amazonプライムで見られるようになれば是非見たいと思っています。

 

この間は「アバター」を見ました。

その時のことを題材にノンバーバルコミュニケーションについて考えてみたいと思います。

 

ノンバーバルコミュニケーションとは、コミュニケーションの中から言語的な要素を排除した、ボディランゲージなどをいいます。顔の表情や身振り手振りの事です。

 

アバターは地球人が異星人になって彼らの中で認められていく物語なのですが、その異世界人のはずの彼ら彼女らのボディランゲージが、どう考えてもアメリカ人のそれでした。

おそらく、アメリカの方は気にすることなくこの映画を楽しんでいるでしょう。

私が日本人だからこそ気付いたことなのかもしれません。

私が監督なら、異星人感を出すために、モーションキャプチャーを取り付けた役者をアメリカ人以外にやらせます。

エキゾチックな雰囲気を出したいのです。

アメリカの方に、できれば地球上のどの国に対しても、「うちの国じゃぁ、あんなジェスチャーしないよ」と思えるような、そんな違和感を覚えてほしい。

異世界だから。

異星人だから。

 

これだけの大作を任された監督なので、そこを考えていないはずはないのです。

きっと何か理由があるのだろうとは思うのですが、考えつきませんでした。

それぞれの演出はこういう意図でやった、と解説する事が無粋なのは百も承知なのです。

ですが、ちょこちょことこういう部分が出てきます。

なんだかモヤンとします。

 

今のところの仮説は「ノンバーバルコミュニケーションもコミュニケーションの重要な要素であり、首の傾きや眉をひそめることで、その人物が何を考えているのか、観覧者が想像できる。そこがくみ取りずらいと作品を楽しむための障害となるから、あえてアメリカ風のジェスチャーを通した」というものです。

いまいち!

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