AI採用、記事の分析、機械学習で多分十分。ブログをやっていないことがむしろ機会損失。
— ton (@ton960) 2018年5月14日
ツイッターであれば時系列でフォロー先が変わることはあるので履歴を見たい。
中小企業にAI採用がいらないのは変わらず。対象者が少ないのでクローンを作っても意味なし。
採用したい人物の特性確立が先。センスが問われる。
— ton (@ton960) 2018年5月14日
共通のツールとしての限界。カスタマイズ。教育コスト採算。
テキストの分析。24人のビリー・ミリガン。フェイスオフ(映画)。
常識という共通認識の見える化。
f(x) = g(x) + b 切片が常識。分析対象内での常識が計測可能かもしれないというだけで、その逆、特定個体ずつの常識を見える化してグルーピングは多分できない。因果関係に注意。度数が増えるとbの値は0に近づく。調査対象の絞り込みが多分ホネ
— ton (@ton960) 2018年5月14日
「バイアスのかかった採用基準を元にAI予測モデルを作ってしまったら、同じような差別主義の採用しかできなくなります」です!
— ton (@ton960) 2018年5月15日
なぜ日本企業は「ビッグデータ集めなきゃいけない病」にかかるのか?|BUSINESS INSIDER https://t.co/H89Ouw8dln @BIJapanさんから
一昨日辺りから、ぼんやりと考えていて。昨日、四つ目の記事を見つけて、然り!と。
今回は、文章からその人の特性を見る事。採用対象者の文章を採用活動に活用することについて考えます。
昔からテキストマイニングという手法はありまして。
これは、よく出てくる言葉や特徴的な言葉を抽出したり、時系列によって変化する傾向を調べたりできます。
統計学をやっている人は、データマイニングと理解していただいてよろしいかと思います。
それなりに整然とされたデータを分析することで、法則・相関関係などを見つけ目的に役立たせる手法です。
近年は、文章をAIで解析し、そこから分析される傾向を採用活動に役立たせることでより良い採用活動を行おうという試みが始まっています。
それ故に気を付けるべきと思われることもあり、私はAIに誤解されないための書き方を身に着ける必要だと、書きました。
それを実際に行っていくとどういう事が起きるか、考えを深めましたのでご覧ください。
1)人格がわかる
2)大人数を採用する企業が、テキスト分析により対象者の人柄を分析するのであれば、目的となる社員の特性を確立しなければならない
3)対象者をグルーピング化し、その集団の常識がわかるのではないか?
1)人格がわかる
これについては、その人の性格がわかる、例えば積極的だとか、自分で何かを生み出すのが好きだとか、ではなく、Aさんの中にいる、A1さんとA2さん、というような形で人格がわかるのではないか?という話です。
少々オカルティックですが、ありえない事ではなく、24人のビリー・ミリガンという書籍はご存知の方が多いでしょう。
そのような多重人格というわけではなく、誰しも、弱い自分・強い自分、と複数の自分がいて、その時々で変わるのではないか?と思えるのです。
誰しも、仕事がうまくいっているときは強気になるでしょうし、恋人に振られれば弱気になるでしょう。
その強気の場合はどういう特性があり、弱気の時にはどういう特性があるのか。
そのような分析ができるのは?と考えています。
高校の数学のテストをイメージしてください。点数は両極端ではありませんでしたか?
正規分布と言われる、山が一つの統計学的に扱いやすい分布ではなく、山が二つある。
今回の件は、どのようなグラフを、一つ一つ正規分布のグラフに置き換える事から発想しました。
面接官は、文章が例えば日記であれば、強気と弱気の変換点で何があったのか、強気の時に落ち込んでいるような記載があれば何があったのかを聞くことで、その人の価値観・感じ方などを企業文化とマッチングすることができそうです。
2)大人数を採用する企業が、テキスト分析により対象者の人柄を分析するのであれば、目的となる社員の特性を確立しなければならない
そもそも私は、中小企業にAI採用はコストメリットが薄いと考えています。
(参考;中小企業でAIの面接は必要ありません)
大企業であれば、AIの教育に対して採用のコストメリットが出る場合があると思います。しかし、AIには教育が必要です。どういう軸で自社は採用活動を行うのか、その点をはっきりさせたうえで、AIの教育に臨むことが必要です。
今回の採用で、何を重視するのか、という根本を決め、さらにはそれをAIに教育する必要があるのです。
それは定量的な情報でなく、定性的な情報になるはずです。
さらには毎年、毎回変わるかもしれません。
採用活動でAIが効率化できる部分は、大集団の足切りに限定されるかもしれません。
(絶対に自社に合わない人の選別に利用)
3)対象者をグルーピング化し、その集団の常識がわかるのではないか?
ここは、思いついて、自分でも興味深かった点です。
対象者それぞれを分析するにあたって、対象者全体として共通してみられる傾向が出てくるように思うのです。
それを世間ではたぶん、その集団における常識と呼び、それ以外の部分を個性と呼ぶのではないかと。
この点で重要なのは、対象者を限定して分析するからその共通項として対象者の常識が可視化されるのであって、その逆ではないという事です。
換言します。各対象者を一人ずつ個別に分析して、常識部分と個性部分を峻別。そして常識部分でグルーピング、ということは多分できないという事です。
採用活動は多かれ少なかれ、既存組織の常識に染まりつつも、常識を打ち壊すことを願います。既存社員の常識を計測し、それに対する採用対象者の常識を比較させる、という運用はあるかもしれません。
さて、文章の解析が進むとその文章からいろいろなことがわかってくるようになるかもしれません。
もしかすると同一人物が一人で書いている、と思われた文章が機械処理で「複数人が書いている疑いがある」とか「この記事だけ文章のタッチが違う、もしかすると盗用かもしれない」なんて分析ができるかもしれません。
今の時代、ブログを書くことで自分の考えを発信することは、おそらくメリットはあってもデメリットはないでしょう。
もしかすると、ブログを書いていない、積み重ねがないことが損失になる時代が来るかもしれません。
ブログは、採用活動だけでの利用ではなく、その人の人柄・考え・能力・興味を示す一つの材料になり得ると考えます。
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