かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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理屈だけを考えると現実から乖離するという話

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お金は国がいくらでも刷れる(増え続ける)、一方で資源は有限であり、減り続ける。

なのでお金が地球を滅ぼす。

あるブログを拝見しているとこのような記事がありました。

(URLや引用はしていません。他の方への攻撃が趣旨ではありませんので)

反論としては、資源が減れば価格が上がるはずです。最終的な破壊には到達しないはずです。

「みんなの地球を守れ」という優しい言葉のもとに、自分たちが生きていくために資源を守るような価格調整が働くと思われます。

資源の減少により価格は高騰し、その勢いは急激になり、お金で買えないものになるでしょう。

現実は、思考実験の通りにはいかないのではないかなぁ?という一例です。

 

「ダイヤモンドでできた星」が見つかる 地球から近い - ITmedia NEWS

こちらの天体のダイヤモンドの量から算出して、このダイヤを地球に持ち帰れば国の借金はチャラになるという笑えない話がありました。(上記、引用記事ではありません)冗談ならいいのですが。

持ち帰ることが不可能という点はおいておいて、この話の流れから供給と価格の話をしようとしていることはご理解いただけるかと思います。

そうです。地球に持って帰ったとしても、ダイヤの値段が暴落するだけなのです。

国の借金が暴落するわけでも、地球上のすべての人間が金持ちになれるわけでもないのです。

 

先日、

ton96o.hatenablog.com

理論で人は動かないという記事を書きました。

 

 

今回はさらに踏み込んで、理論と実践の話をしたいと思います。

 

 

過去にこんな記事を書きました。
ton96o.hatenablog.com

理論は、現実で観測されたことを帰納要約したものであり、 要点とその関係性を説明するために省略された部分があるという記事です。

つまりは、時代の変化などにより、省略された部分の影響が大きくなった場合、その理論は過去のものとして、新しい理論を形成しなくてはならなくなります。


ton96o.hatenablog.com

こちらの記事では、需要曲線と供給曲線を例にとり、理論を実践にあてはめること自体にセンスが必要であるし、その背景や前提条件を勘案したうえで行わなければならない、と、補足させていただきました。

 

さて。

なんとなくですが、理論に固執する方はすごく多いな、という気がします。

理論はお勉強なので、やればやるだけ成果が出ます。知っていることが増えるのですね。それはすごく楽しい事で成長を実感できます

でも、現実世界、例えば投資の世界で利益を出せるようになるか、というとそうでもない。

ここに何らかの不整合があるように思います。 

不整合というのは、人間が合理的に行動できないバイアス、という意味合いでとらえてください。 

理論と聞いてどのような事を思い浮かべますでしょうか?

なんだか高尚なもので、絶対的なものだと。

私の理解では、絶対視すべきは前提や公理であって、理論は「今のところこれで上手に説明できるまとめ」でしかないのです。

 

多分、この

1)理論を勉強することは成長を実感しやすい(知識の増加)

2)理論は、絶対的なもの、高尚なものであるという誤解

二点が理論に固執する原因なのかなぁと思います。

 

理論を勉強することは必要です。

世の中の皆さん、勉強ができる人なんて掃いて捨てるほどいるわけです。彼ら彼女らの思考を(先回りといかないまでも)トレースするためにも、「これは考えているだろう」という点を前提条件にするためにお勉強しておきます。

そこで立ち止まってはいけないのが、多分ポイントです。

現実にあてはめて、応用できるようにしなければなりません。

理論というのは、ことわざや故事成語に似た点があります。

何か、事が起こってから「ほら、○○って言うでしょ?」みたいな、ダメ出しに使えるのです。

例えば、何か早急に意思決定をしなければならない事態があったとします。

それで上手くいった場合、そういうダメ出しさんは口をつぐみます。

時には「そうだ、こういう時は行動力が大事なんだ!」とかなんとか、自分の手柄のように言うかもしれません。「わしが育てた!!」

一方で、それが失敗した場合、ダメ出しさんは「急がば回れ、っていうだろ?拙速だよ、キミィ」なんていうわけです。

上記はことわざの悪い用例ですが、現実問題に上手く当てはめている、という点は注目すべきです。

 

理論を上手く使うのは、センスが必要です。

現実を見据えて、脳にストックした理論という道具を上手く使うと、現実を上手に整理できることも多いと思います。

一方で、理論はただの道具です。学者でないのでしたら理論に振り回されるのは賢明ではないと思います。

現実は現実であり、理論は過去の標本なのです。

非常に抽象化された理論はいつまでも息づくかもしれません。

しかし、それは具体的な事象にあまり役立たないはずです。

 

博物館で標本や事典を元に論文を書いている植物学者や動物学者と

実際にフィールドワークを行って、現実を見据えて既存の理論とすり合わせを行う植物学者や動物学者

一体どちらが、真実を追い求める姿と言えるでしょうか?

 

象牙の塔には象牙の塔の役割があります。

おそらく、そこの住人以外は現実を見据え、理論は理論として道具として上手に使う方法を学ぶ方が良いように思います。

 

思考実験は楽しいんですけどね。

 

 

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