かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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多様性を認めると主張する多様性を認めない人たちの話

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ある人にこういわれたことがあります。

「tonさん、子供のいう事はバカにできないもんだよ」

子どもは知識がないゆえに物事の本質を見抜く力がある、というようなことをおっしゃりたかったのだと思います。

しかしですね、問題は、私は一言も「子どものいう事はあてにならない」なんて言っていない事なのです。

文脈も何もかも無視して、ただ、この話をねじ込んできたのです。

 

この文章自体も私の主観なので、その方からすれば、子供の意見は参考にならないという雰囲気を感じていたのかもしれません。

物事は一方向から判断すべきではありません。

 

ですが、まぁ、私からすると、納得がいかないわけです。

子どもの話なんて一言も出てきていないので。

 

私が強く思ったのは「この人は、「子供の意見がばかにならない」という意見にこだわり過ぎている」という点です。

もっと言ってしまえば、「この人は、心のどこかで子供を馬鹿にしているんじゃないか?その反動としてその意見にこだわっているのではないか?」とすら思うのです。

 

このような矛盾は、いろいろとありまして。

 

私は多様性があるのは良い事だと思います。

もちろんデメリットはあります。コストは相当かかりますし、自分の常識を覆されることも多々ありますので、正直な話むかつくことだってあります。

でも、人が選択する幅が広がるのはとても良い事だと思います。

なので、多様性があることはよい事だと思うのです。

(選択肢の幅が広がりすぎると、決断にコストがかかるというのは、別の話ですのでおいておいてください)

「多様性はよい事だと思います」

と私が言うと、話のイニシアチブをとって

「私もダイバーシティは大切だと感じていて、」云々。お話を始める方がいます。

で、その方は、多様性を認めない方を、認めないのですよね。8割がた。

おかしな話だと思いませんか?

多様性を認めるということは、多様性を認めない人も、認めるという事だと私は思うのです。

多様性を認めない人を認めない、多様性を認める人というのは、自分の意見が大好きなだけです。

ご自分が「多様性を認める懐の広い人物である」と考えているようで、そこがまた、罪深いように思います。

多様性を認めない人は懐が狭い人物なので、みんな、多様性を認めるべきだ」と。

あれ?多様性って、何でしたっけ?

 

何でもありだというと、結構「適当な人だ」と思われることがあるのですが、それは違います。

人の意見はとりあえず聞いてみたいのです。納得・賛成はするかしないかはわからないけれども、言っていることの論理・話の流れは理解したいのです。

「○○と言っているんですが、理解されません」という人がいたら、質問したいのです。

なぜそう思ったのか、根拠は?

そうすることで知見が広がるような気がするのです。

 

本質的な多様性を尊重しない、多様性大好きな人は、もういっそのこと「わたしは多様性を認めない人を認めない、多様性を認める人間だ!」と宣言してはいかがでしょうか?

きっと自己矛盾に気づくと思うんです。

 

先日noteで面白い方の記事を拝見しました。

note.mu

多分、仏教的な意味合いの諦観を極めた人は、あるがままを受け入れるという事さえ意識していないのではないかと思うんです。

受け入れなくっちゃ、と思っている間は多分良い状況ではなく、あるがままを受け入れる。気づいたら受け入れてしまっている状況が、私が言語化できる限り、良い状況なのかと思います。

 

老子でいう「無為自然」ですね。

(参考;「無為自然」という考え方

 

で、最後の落ちですが。

このような記事を書いている時点で、「多様性があると良いな」と思っている私にこだわりがあって、「多様性を認めない多様性を愛する人」に不快感を抱く自分は、矛盾している。

というものになります。

 

ここまで、頭がこんがらがることなく読めた方は素晴らしいです。

私はこんがらがりました。

ではでは。

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