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考えたことをまとめます。

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非中央集権に対する考えをまとめる話~2018年夏~

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非中央集権については過去記事があります。

現実的な非中央集権を支える下地について考えた - かんがえる、かがんでいる人

非中央集権に対する考えをまとめる話~2018年春~ - かんがえる、かがんでいる人

今回は、上記二つ目の記事の続きということで「2018年夏」としました。

 

先日「仮想通貨ニュース 2018/07/07 - かんがえる、かがんでいる人」において、非中央集権について書きました。

引用します。

前々から言っている通り、厳密な非中央集権化は無理だと思っています。
個々の構成員に必要な能力が、特にブロックチェーンにおいて、高すぎ範囲が広すぎるからです。
なので、インターネットと同じくハブ&スポーク型にならざるを得ない、という考えでした。

今回は、それをもう少し深く考えて、組織の効率を最大化するのであれば非中央集権を目指すべきではない、としました。効率を目指せば分業は必須になるし、役割の切り分けは権力の分散を上手く図れるようには必ずしもいきません。(タスクの分解には限度があります)そもそも、タスクを分解する・役割を分担するという点でも権力は発生し得ます。

最終的な、厳密な非中央集権の世界は、仕組みだけ作って後はそれが自動で動き続ける世界だと思うのです。

BCを利用した世界は、必ずしもそうではありません。運営が存在するサービスで「非中央集権」だというのは矛盾と言わざるを得ません。

上記、タスク・役割の分担で権力が発生しうるというのは、「切り分けと分担を決める」 という行為そのものが権力的な行為だという事です。構成員が納得するだけの権力を持っているからこそ、その仕事ができていると言い換えてもいいと思います。

 

冒頭の「現実的な非中央集権を支える下地について考えた - かんがえる、かがんでいる人」では、理想的な・厳密な非中央集権を仮想通貨の世界で実現するには、IT技術はじめ、種々の高度な知識が必要になる。上手く機能するのであれば、現状のインターネットのようなハブ&スポーク型であり、利用者に最低限度の知識を説明する「解説者」という役割が重要になる

という話をしました。

 

では、非中央集権について、私は批判的なスタンスなのかというとそうではありません。私は、非中央主権を良いとも悪いとも思っていません。

物事に対するアプローチの一つの形態であって、今は非中央集権の方が都合がいい、なぜなら外部環境の変化が激しいから、と考えています。

 

組織論の話で、「機能別組織 と 事業部制組織」 どちらがいいか?という話があります。
良く練られた方策のありがちな結論として「どちらも一長一短があり、片方のメリットがもう片方のデメリットである。適宜、選択しそれに対して構成員が適切に行動するのが大事」となります。
機能別組織は、A会社に開発部門・営業部門・管理部門がある組織です。
事業部制組織は、A会社に東日本事業部・西日本事業部があり、それぞれに開発部門・営業部門・管理部門がある組織です。

これを聞くと、事業部制組織は無駄が発生しているなぁと思われるかもしれません。
しかし、それぞれの事業部はその地域(や製品)に即した迅速な意思決定が可能です。

前述の通り、それぞれにメリットとデメリットがあるのです。

 

では、中央集権と非中央集権が上記組織のどれに当てはまるかというと、中央集権は機能別組織、非中央集権は事業部制組織に当てはまります。
中央集権は、外部環境が変わりずらい中、効率を重視するときに役立ちます。
流行っている非中央集権という言葉は、個々の構成員の自立を前提とし、その成長を促します(=強い言葉でいうと、成長を強制されます)

 

先ほど組織の話出した通り、事業部制組織では無駄が発生しています。採用活動なんて企業で一括してやればいいじゃないですか。
非中央集権の組織も同じです。Aさんがプログラムの知識をもって、Bさんが経済圏を広める。分担すればいいじゃないですか。
しかし、厳密な非中央集権を考えるのであれば、それではいけないはずなのです。
仮想通貨はそれ自体がプログラムであるという点は良いですね?
それにタッチしチェックできる人が限定されていればその時点でそれは権力であるように思うのです。

 

あるブランドの結婚指輪にこのようなキャッチフレーズがありました。
「ひとりで生きていけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う。」
非中央集権の在り方として、まったくもって良く言い表していると思います。
私の考える理想は、これなのです。

しかし、実際の結婚生活の大半がそうであるように、家庭内では分担が行われ片方が倒れれば生活がうまく回らない状況が発生しがちです。

本記事冒頭、ツイートを引用した通り、人間が社会的な生き物である以上分業が発生しがちなのだと思うのです。

 

現状、確かに大企業が我々から多くのものを収集し(搾取し)ていると思います。
それとのバランスをとる意味で、非中央集権が主張されるのは正しい事のように思えます。

しかし、非中央集権にかかるコストは思いのほか大きく、それ故に、厳密な非中央主権は目指すべきではないと、私は思うのです。

 

ブロックチェーンにまつわる7つの『不都合な真実』

このような記事もございます。

1)はあり得る話で、私はマヒしているように思えます。実際に起これば被害としては甚大だけれど、確率として起こりずらいと考えられるため期待値としては低く、それ故に「まぁ、ありえない。普段の生活で考えなくても良い」物と捉えられているように思えます。

2)こちらはおっしゃる通りです。私も以前から言っている通りで、イラストの権利はブロックチェーンに乗せられても、イラストそれ自体のコピーを防ぐことは困難だと思うのです。イラストはもちろん一例で、他のデジタルコンテンツもそれに倣います。

3)こちらがまさに私が言うところの無駄、組織形態の事業部制組織で出した冗長性です。一方で、その冗長性がシステムダウンの確率を減少させている事実も見過ごしてはいけないように思います。

4)こちらはパブ以外は中央集権であると表現した方が良いでしょう。どちらでもいいですが。処理能力を含め、迅速さを求めるのであればコンソやプラになると思います。そしてそれはシステムとしてのビットコインの思想からは外れます。

一方で、外れると、いけないのでしょうか?という視点もあります。

我々が求めるものは、実生活で便利に使える道具のはずです。
ビットコインは確かに優れた思想と解決策を打ち出したものだと思いますが、現実との折り合いをつける際に、そこからいろいろな派生商品、コピー、類似品が出てくる事は仕方のない事ですし、そこからより良いものが出てくる可能性は決して無視していいほど低くないと思います。なので、私はいろいろやると良いんじゃないかと思うのです。

ブロックチェーンの思想やそこからの技術的な仕様等を理解するのは大切だと思います。一方で、ナカモト論文を聖書のように扱ったり、何か一つの技術や方策にこだわるのもそれはそれで頑固というものなのではないかと思うのです。

5)これは中央集権型取引所におけるダブルスペントの問題だと思われます。仕様通りに動いているので、中央集権型取引所を含めた、全体としてのシステムの弱い点を突かれた、と私は理解しています。

6)こちらはもう、その通りでして。THを利用してスマコンをデプロイしたらバグがあったときに大変だという認識はあります。また、BTCにおいても、取引を行えばそれは取り消すことができないという点は個々が自覚しておくべきことだと思います。

7)まさに、我が意を得たり。

 

尚、こちらの方はこの記事も大変素晴らしいと思います。

 

厳密な非中央集権はおそらくだれも望んでいないと思います。

現実と折り合いをつけて、中央集権と非中央集権の間のいい塩梅のところを探っているのが現状だと思います。

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