私はなるべく物事を分析するように努めています。
例えば、ドローンなんて今まで興味がなかった分野であったとしたら、自分ならどう使うのか、どういう利点と問題点があるのかをざっと考え、情報収集します。
答え合わせですね。
多くの場合、私が考えることなどは誰しもが考えていることなので、答え合わせで「自分の考えが世間とあまりずれていないことを確かめる」作業になります。
さらに、抜けがないように、アイデアや知識を仕入れることもあります。
(多くは後者です)
人間の時間には限りがありますが、知識をお勉強するのは大変楽しいので、熱中することもしばしばです。
ですので、「仕入れ」はほどほどにして、ほかの優先すべきことや考えることに時間を使うようにしています。
また、分析した結果、「分析できていない部分、理解できていない部分」があることは承知しておりますし、現状の自分の理解が仮説にすぎないことも肝に銘じているつもりです。
加えて、考えの「型」、フレームワークとでも言いましょうか。
二十歳を過ぎれば誰しも、ある程度自分の考えの「型」があるもので。
二十代前半あたりまではそれが(良くも悪くも)外圧によって壊されることが多かったのですが、年齢を重ねると再構築されること(強いられること)は少なくなります。
ですので、できれば、フレームワークを再構築できるようにしています。
さて、
表題の件ですが、よくいるのですね。
「俺は直感タイプだから」とか何とかいう方。
正直、苦手です。
もちろん言語化できない、経験に裏打ちされた「感覚」というものはあると思いますし、それは大事にしなければならないと思います。
ですが、上記のセリフを言う方はそうではないのですね。
あてずっぽうなんじゃないかなぁ?と。
先日、野球選手の本を読みました。
広島の名二塁手、菊池さんの本です。
その中で著者は、経験に裏打ちされた感覚という意味合いの言葉を使っています。
これなら私も納得がいくのですね。
(なお、この本はゴーストライターが書いたものというレビューがありました。内容が良ければそれはそれでいいかなぁ?と私は思います。「大好きな菊池選手の本」という価値を求めるのでしたら違うと思いますが。)
キングダムという漫画があります。
中国の秦王朝が成立するまでのバトル漫画です。
いろいろな武将が出てきます。
「本能型」と分類される武将がいて、そういう人は「なんとなく」の判断が成功します。
直感タイプの方は大好きですよね、こういうの。
なんとなく思ったことが、実は鬼の一手で。難局面を一気に打開する。
オセロで一気に大逆転する感じ。
ガリ勉じゃないけど頭が良くて、物事の本質を見抜く、みたいな。
一方で、努力して経験に裏打ちされた感覚を磨いておられる方はおられます。
そういう方は大好きです。
では、この苦手と大好きの違いは何か。
再現性の差です。
一回こっきり。
何でもいいから、右に行くか左に行くか、という場合。
経験があろうがなかろうが、悪くても50%の確率で当たります。
当たった人、成功者の声は大きく、それは今でいう錯覚資産として働きます。
(上記リンク先は著者のブログページです。本の一部が無料で読めます。おすすめです)
そうなると、はったりというか、ブランディングというか、そういうのに惑わされる人も多く、後で周りに結構な被害が出ることがあるのです。
そりゃ、あてずっぽうで、たまたま結果が出ただけで、経験を積んだり知識の研鑽を怠れば失敗しますよ。
何か起きた時にそういう人が後始末をするかというと、、、ま、しませんよね。
むしろ逆切れして「ちゃんとリスクヘッジした案を提案してくれ!!」なんて怒鳴っちゃったりなんかして。
・・・提案ねぇ。
こういう人は「こうじゃないですかね?」という提案らしきものを鼻で笑う割に、事前に提案(警告なんですけど)したことを都合よく忘れちゃうんです。
便利な脳です。
欲しい!
「本能型」の、あてずっぽうで「なんとなく」の判断をされる方には近寄りたくないなぁと、私は思うのです。
事故るから。
そして、その人以外の誰かが後始末をすることになるから。
一生懸命やってれば、後始末する方もお互い様だと思うでしょうが。
私は本能型ではないし、そうなりたいとも思わないので、ちょろちょろとやってます。
ではでは。
?