かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

?

同じ概念でお代わりを何杯もいただける話

結構シニカルな話をします。

 

ここ最近、「可視化」という言葉が流行っていたように思えます。

例えば、信頼の可視化、ですね。

 

一昔前ですと、「見える化」と言っていたものが、形を変えて現れたように見受けられます。

 

見える化も可視化も、言わんとするところは同じで「定性情報を定量情報に直しましょう」という話だと私は理解しています。

 

「定性情報を定量情報に直しましょう」

うん。わかりやすくなりました。

定性情報や定量情報は日本語として、ある程度の期間、そのままの意味合いで使える言葉です。だから、上記の文章の意味合いは、誰が受け手であってもブレはほとんどないのではないかなぁ?と思います。

 

KKDという言葉があります。

勘と経験と度胸によって、判断を行う言葉です。

どちらかというとネガティブな意味合いで使われます。

 

実は事業戦略に必要なのはKKD法(勘 経験 度胸)だよというお話

こちらが面白かったので引用します。

戦略、事業を売却することが最終目的としましょうか。

それをいくらで売却するかという判断は、最低限の値があって、それ以上高ければ高いほどいいと思うのですね。(他に、経営者として残ること、逆に経営者として残らないことなどの条件が付くと思いますがここでは置いておいてください)

では、いくら位ならその事業を売るのか。

やはり、事業の根源的価値と、買い手として誰がいるのか、誰がどの値をつける可能性があるのか(企業の事業売却なんて古物商のようなものです。相手が無限にいるわけではなく相当に狭い世界だから、こういう思考になります)競合としてどこがいて、それらは何を狙っているのか?などなど。

ton96o.hatenablog.com

上記記事で書いた、「私」のように、「ある程度分析してもまだまだ不確定要素が残る。だから最終的には、勘と経験と度胸に頼らざるを得ない」

そんな感じの事が書いてあります。

 

ふむふむなるほど、と。

じゃぁ、なぜ、今、KKDはネガティブなイメージで語られることが多いのか?と。

 

私の理解では、KKDを肯定しては商売にならないからです。

 

「社長、後継者の育成は進んでおられますか?

なるほど、そうですよね、難しいですよね。

まずは自分の役割を細分化して、少しずつ役割を部下に渡している。

さすがでございます。社長。さすが。

社長様の企業ほどになりますと、意思決定も独断で行うというのは実行する社員の納得を得られません。

そこで、今まで社長のご慧眼で進めてきた事業経営を、誰でもできるようにする必要がございます。

勘と経験と度胸のKKDは古いんです。

今まで社長は、多種多様な膨大な量の情報を処理されていらっしゃったと思います。

えぇ、えぇ。ご心労も相当のものかと。

しかし、今後、定性情報を定量的にとらえることで、誰でも社長と同じ判断ができるようになるのです。

 

いまA社とB社どちらと付き合うかという二択があったとします。

A社と付き合うと純粋に得だが、B社だと損をするとします。

それでもB社を選択する時があります。長期的に見て、B社と付き合う方が得だと判断した場合です。

損して得取れ、というわけですね。

今の単純な具体例であっても、結局は、将来的に得られる収益や利益を単純合算したり、割引現在価値を求めることで誰でも比較可能になります。

さらには、なぜB社と取引することを選んだのかという質問に対して、根拠を持った説明ができるため、皆さん、納得したうえで働けます。

 え?もっと話を聞きたい?

かしこまりました。それでは私共がお手伝いさせていただいた企業様の成功例を。。。」

 

みたいな。

 

「今、こういう感じでKKDでやっちゃってますよね?

でも古いんですよ。

だからうちのサービスを買ってくださいね。」

 

KKDは、この理屈の犠牲になるのですね。

 

確かに、言っていることは悪いことではありません。

誰でも社長と同じだけの意思決定ができるようになる事はいい事でしょう。

前提として

・社長の意思決定が本当に優れている

・社長の意思決定が本当に会社の利益のために行っている

という点がありますが。

 

それに加えて、定性情報を定量情報に直す事には普遍的に困難があります。

価値観の問題があるからです。

 

オレンジジュースとリンゴジュース、どちらの方がおいしいですか?

これに、明確に、一般論として「こちらの方がこれだけ分おいしい」といえる方はいますか?

いないと思うのですね。

 

でも、ここで例示されているのは企業としての判断基準だから、そこは個性が出てもいいんじゃないか?

 

おっしゃる通りです。

つまりは、個性を含めた価値判断基準を作ることで、定性情報を定量情報に直すのであれば、その人(ここでは社長)のコピーを作るのと大差ないのです。

相当に大変なことがお分かりいただけるでしょう。

では、例えば中小企業がそれを行って元が取れるのか。コストパフォーマンスはいかがか?というと、私は〇を出せません。

 

AIが世間を賑わせています。

機械学習のレベルでは結局、「現在のところの私の判断ではこれです、OKかNGかフィードバックを下さい」というものなのですね。教育をしなくてはいけない。

(その教育を自分で行ってくれるのが深層学習、ディープラーニングのようですが、教材情報が十分な量、用意できないとその仕組みそのものが使えないことはお判りいただけると思います)

なので、こんな記事も書いています。

ton96o.hatenablog.com

 

 

定性情報を定量情報に直すことは困難であり、コストパフォーマンスの問題がある、と。

後者の問題は、計算機(PC)の演算能力等の向上でカバーできるかもしれない。

しかし、前者の問題は依然として残り続ける、と。

 

簡単に調べると

あなたは知ってる? 見える化と可視化の違いは○○にある! | MIERUブログ

こちら様の記事が出てきましたが(これはこれで面白いです)肌感覚では、「「見える化」だとダサいしビジネスチックじゃないから可視化にしよう!」という感じです。

 

見える化」商法でお金を払った企業は、「可視化」商法でまた、同じようなことになるんじゃないのかなぁ?というのが私の意見です。

 時代は変化していますので、もしかすると、以前の「見える化」時代ではうまくいかなかったものが、今の「可視化」時代ではうまくいくものがあるかもしれません。

しかし、定性情報を定量情報に直すことには根源的な問題があることを忘れてはいけないように思います。

 

「なぜ、似たような概念のビジネスが、うまくいくのかね?「見える化」の時点で失敗して学んだ会社もあるだろうに。学んでいないのかね?」

私の感覚ですと、学んでいないというのもあるでしょうが、それ以上に「時が流れている」ことの影響が大きいように思います。意思決定者が変わっているのですね。

 

以前は平社員で言われたことをやるだけだったけれど、今は責任者になって何か新しいことで成果を周囲にアピールせねばならない。そんな時に見える化の話が来た。いっちょやってやりますか。

で、失敗して、その方はどこかに。新しい方が意思決定者に。

今、私は責任者になって何か新しいことで成果を周囲にアピールせねばならない。そんな時に可視化の話が来た。いっちょやってやりますか。

 

そんなループが回っているように思うのです。

いっちょやってみて、ぽしゃっているんです。

だから、きっと、10~15年後くらいには、定性情報を定量情報に直す新しいキャッチコピーが生まれてるんじゃないかな?と思います。

 

 

さらに、ここでは、「見える化」と「可視化」における「おかわり」を具体例として出しましたが、実際はもっと多くの場所で同じようなことが起きています。

 

いいんじゃないですかね?押し売りじゃないのであれば。

経済が回ってますよ。

良いことです。

 

ではでは。

?