影響力がない人が影響力の話をしようかな、と思います。
私自身が影響力を持っていないので、
「お前に言われたくはない」というのは、そりゃそうなのですが。
まぁ、それでも、という方はご一読ください。
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ネットの普及によって、誰でも表現ができるようになりました。
良いところも悪いところもあると思いますが、選択肢が増えることは良いことだと思います。
(選択肢が多いと、かえって精神的疲労が増える、コストが増えるというのももっともな話です。しかし、表現手段という観点からみて、選択肢は疲れるほどありますかね?)
(他の分野で、選択コストが高いほど、多様なものが出てきた場合、それを選択するビジネスが出てくるはずです。アマゾンのレコメンド機能はその好例、あとは保険の窓口とか、投資信託の相談窓口とか?)
それにより、「世間様に広く表現を許す」という既得権益が、相対的にその価値を低下させました。
具体例をだします。
それまでは「楽しく歌って踊ってる姿で喜んでほしい、ちやほやしてほしい」という方は芸能事務所(?)とかにオーディションで合格して、番組やイベントのオーディションを潜り抜けて、そして、ようやく場を確保できる、推測ですがおそらくこんな道筋をたどってきたのではないかと。
この状況は少子高齢化社会の子供にかける(かかる)期待や重圧と同じようなもので、質の高い・失敗できないもののように思います。
ネット以降は、「楽しく歌って踊ってる姿で喜んでほしい、ちやほやしてほしい」という方は動画投稿サイトやSNSでモノを投稿して人気者になっていきます。
そこには多死多産の世界と同じような構造を見ることができます。多くの人がいろいろなことをやることで、今までになり新しいものが生まれるのですね。(成功者がいる一方で、多くの屍があることは認識しておかねばなりません)
なお、構造としての前者と後者で、どちらが優れているのかというのは私にはわかりません。
多くの人が考えるように
・安定していると前者の方が質の高い人を選別できるので、選択コストは安そうだ。提供されたタレントを「すごいもの」「正解」としてみればよい。
・不安定な時期では後者の方がよさそうだ。何が正解かは分からないのだから、いろいろやってみる中で面白いものが見つかるのだろう。
程度です。
ずるい言い方をすればケースバイケースです。
あえて言うなら、現状を不安定な時期と考える世間の風潮が強く、実際そうだと思えるので後者です。
どちらが優れているか?という縛りを無くしてコメントをつけるのであれば、現状のネットにおける表現は、多死多産とはいえ命を取られることはありません。いろいろとやってみるのは悪いことではなさそうだ、とは言えるかもしれません。
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で、影響力の話です。
上記の芸能人の例でいうと、芸能人自体が影響力を持つインフルエンサーであると同時に、芸能事務所や番組・イベントの責任者がインフルエンサーである点に注目したいと思います。
前者に関しては、多くの方の賛同を頂けると思います。
しかし後者は説明がいるかもしれません。
私が考えるに、影響力とは、世間に対する自分の意向を通す力だと思うのですね。
例えば、私が突飛な考えを話したとして、そもそも「聞いてやるか」と受容される関係性がないと聞いてもらえません。右から左へ受け流される以前に、右からはいる事さえ許されないのです。
一方で、影響力のある方が、私と全く同じ突飛な考えを話したとすると、反応は大きく変わります。聞いてもらえるでしょうし、理解しようと努力してもらえるでしょうから言葉足らずでも伝わるでしょうし、理解した振りの賛同者も出てくるでしょう。(言葉を選ばず言ってしまえば、知ったかぶりということです)
そうなると、味方が多くなるので、実績が生まれてそれが影響力の増大に再転換されます。
また、世間というのは何もマス(大衆)だけを意味するわけではありません。
例えば、ある会社の役員間5~6人の世間もあると思うのです。
この世間でのやり取りは秘匿性が高くそれ以外の世界への影響力が大きいものです。
この世間での影響力を持つことは、さらに大きな世界への影響力を持つことになります。
だから、芸能事務所や番組・イベントの責任者もインフルエンサーなんじゃないかな?と。
もちろん、現在、世間で使われている用法と違うことは自覚しています。
誤解を生むので、ここでは「影響力を持つ人」という言い方に変えます。
となると、影響力を持つ人は、何もネット上を主体に動いているわけではなさそうですし、最近出てきた概念でもなさそうです。
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ネット以前は、マスを対象に影響力を持つのは大変でした。
ネットが発達するにつれ、SNSが発達するにつれ、マスを対象に、影響力を持つことが相対的に簡単になったようです。
一方で、現実世界の「世間」は、今も厳然としてそこにあります。
影響力を持つべき対象は、ネットでしょうか?現実の世間でしょうか?
意地悪クイズのような答えを提示します。
両方です。
なぜなら、 現在は、リアルとネットの境界線があいまいだからです。
リアルとネットで区別をするのが、時代遅れなのですね。
O2Oという言葉があります。
今さら聞けない「O2Oマーケティング」の概要と、効果的な事例について | MMU | アプリ開発・アプリ制作メディア
B2BやB2Cと同じノリで、オンラインtoオフラインを略したものです。
アマゾンが実店舗を出すような、そんなビジネスの事を言います。
それまでは、実店舗がHPを作ったりネットモールに出品するという方向でした。
逆が出てきたのですね。
私たちは、寝て起きて、朝ご飯を食べたり食べなかったりして、仕事をして風呂に入って寝る。休日にはどこかに遊びに行く。
そんなリアルの生活を送っています。
であれば、ネット上のインフルエンサーだけでなく、リアルの影響力がある人を目指してもいいのではないかな?と思います。
むしろ、ネットでの影響力だけではなく、リアルとの相乗効果を目指す方がよさそうな気がしますし、リアルで影響力があるからネットでも影響力があるという方向もあるようです。(芸能人がYOUTUBEチャンネルをつくって、一気に登録者数を稼ぎ出したり)
現状の影響力という言葉はネットに偏っているのかな?と思ったので、アンチテーゼです。
Twitterのフォロワー100万人もおもしろそうですけど、面倒なことも増えそうです。
世界の要人10人との人脈の方が、どう考えても強力だと思います。
それは極端だとしても、今自分が置かれている世間で期待されている役目を果たすとか、興味のある分野で交流を持つことで築いた人脈10人も、捨てたもんじゃないですよ。
ではでは。
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