かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

規制について考えた

融資先の情報開示等に関する方針につきまして | Crowd Bank[クラウドバンク]

貸付投資のFunds、匿名化解除に対応し貸付先の企業名などの公開方針を発表|株式会社クラウドポートのプレスリリース

金融庁の024_13bは張っていません。

 

今回は規制の性質に関するお話をしようと思います。

 

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まずは具体例として、冒頭に出したソーシャルレンディング(以下、SL)に関して説明します。

ご存知の方は読み飛ばしてください。

 

SLは新しい金融商品で、貸付型クラウドファンディングともいわれます。

私は間接金融の新しい形、ミドルリスクミドルリターンの金融として(そして金融商品として)期待していました。

 

銀行の審査能力が落ちているとは書けませんが、形式的な基準一辺倒になっているのも一つの真実だろうと思います(だから与信機能はAIにとって換わられる、なんて言われるのですね)

銀行が貸し出さないし、貸し出せない分野へ、ミドルリスクを取る人取れる人が金融を行うことができればうまく経済が回っていくなぁと。

そんな感じで思っていました。

 

新しいものだから、何が起こるかわかりませんので、最初はモルモットが人柱覚悟で恐々と手を出していくことになります。

 

そこで起こったのが、投資家の期待にそぐわない中間業者の実態です。

 

詐欺(でいいんですかね?)もありましたし、債権をサービサーに格安で譲渡して回収と言い張る事業者も出てきました。そこは免許を取り消されたようです。

 

私の理解では、中間業者は

・貸し手が融資に当たり判断しきれない与信機能を発揮し、事故の確率をなるべく低減すること

・事故が起きたら速やかに回収活動を行うこと

上記2点をもって、その存在理由とします。

 

逆に言えば、それができないのなら中間業者は貸し手・借り手双方にとってコストの源でしかありません。(実際は貸金業としての資格と、市井に散在する資金を広く集めるための金融二種の資格を持っているという機能があります)

 

では、なぜ、中間業者のだらしない業務実態がまかり通っていたのでしょうか。

 

上記でカッコ書きに書きました、SLの仕組みが隠れ蓑になっていたようです。

 

「新しい金融商品だから何が起こるかわからない。だから、ひとまず既存の仕組みに当てはめて運用していこう

これが私が理解している匿名組合型SLの少し前の状況です。

 

既存の仕組み当てはめた結果が

貸し手→匿名組合の仕組みで資金を集める→中間事業者→貸金業の仕組みでお金を貸す→借り手

という仕組みだと私は理解しています。

この貸し手が借り手にダイレクトにつながっていない部分がキモで、そこには中間業者への信頼が必要になります。

信頼を前提としてビジネスモデルが展開されていたので、まさにそこがネックになってしまいました。

(仮想通貨の文脈でトラストレスの概念が叫ばれるのもわかる気がします。仮想通貨において「分散」がキーワードとされることが多いですが、私の理解ではむしろ「P2P」がキーワードです。「トラストレス」な「P2P」を実現させるための「分散」であるという理解です

P2Pレンディングはいずれ出てくるでしょうが、個人が貸し手になる場合、与信能力の担保が必要になります。セサミやFICOに代表されるクレジットスコアの利用もアリですし、むしろ現実的にそうなると思われますが、そこには中間業者の利用という構図は何も変わっていない自覚が必要だと思います。)

なぜ信頼が必要になるかというと、貸金業の仕組み上、中間業者は借り手を知ることができますが貸し手は借り手を知ることができません

(SLの商品を買うと、マイクロペイメント案件以外では、大きな商品におまけがくっついています。これは貸金業の規制に則るための方便的なもので、特定の団体(や個人)への貸し出しができないからなのですね)

だから貸し手は、「中間業者がOKを出しているのだから、まぁ、良いのだろう。おっと、この案件は利率が高いから(危険の意味合いの)リスクが高いということだな。やめておこう」位の判断しかできませんでした。

 

しかし、被害が出るにつれ、そして金融商品としての実績ができるにつれ「SLにおいては借り手を匿名にしなくてもいいのではないかね?」となったのがつい最近です。

 

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と、こんな経緯でSLで規制が変更されました。

 

匿名化が廃止され、それぞれの中間業者は自社の商品に対する貸し手の信頼を強化するため、冒頭のような声明を出しその条件に適う商品を提供していくようです。

 

一方で、私が当初思い描いていた「微妙なところにリスク覚悟で金融を行い、経済の回りを良くする」ということは難しくなったのだなぁと思います。

ハードルを上げたので、借り手が厳選され安全な商品になる一方で、微妙なところにはお金が回らなくなるのですね。

お金の話ですので、下手に冒険されても困るという人は多いでしょうしギャンブルなどもってのほかです。

が、資金がショートしてしまうと会社がつぶれてしまったり、思わぬ財務のストップ(多くの場合、銀行の融資引き上げ)があると、いろいろと悲惨なこともあると思うのです。急激な変化は連鎖的な悲劇を生みがちです。それを軟着陸できるのであればした方がいいように思います。少なくとも選択肢として残っていてもいいのではないかと。

なんとなく、可能性が潰された感じはあります。

 

何でもかんでも難癖をつけているわけではありません。

事実として何が起こり、その結果どういうことが起こったのか?起こり得るのか?

という点は整理されておいた方が良いように思うのですね。

周りの論調に流され、自分の立場でしかものを見れないよりは幾分マシだと思います。

「自分の意見としてこういうことを言っておけば世間的に安全パイ」というものを暗記してもしょうがないでしょう?

 

SLの金融商品自体は厳選され利率の低下と供給量の低下が起こるように思います。

簡易的な社債になった・なりつつある、というのが私のイメージです。

 

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上記の通り、SLを題材に、規制の流れを追ってみました。

ここからは、一般的に、規制というものに対して考えていきます。

 

あなたが、どこかに何かを届けようとします。

その際に別に歩いて行ってもいいですし、自転車でも、自動車でもいいでしょう。

海を跨ぐのであれば船を使う必要があるでしょうし、場合によっては飛行機を使った方が安上がりになるかもしれません。

 

これが規制がない状態です。

 

ここで、規制を作ります。

「自動車は危ないから使っちゃダメ。どうしてもという場合はバスを使いなさい」

そうなると、時間的な自由がなくなります。移動中に別の事ができるようになるかもしれませんが、満員の時は乗れませんし、いろいろと窮屈です。

 

 

もっと窮屈な規制があります。

「業者バスと徒歩のみを使い運搬をする」という指定制の規制です。

 

今回の例はモノの運搬です。

だから、対象となるモノが届け先周辺で手に入るのであれば、「私」が購入して届けなくても良いはずなのです。

1)注文を受ける

2)届け先を確認して、近くにいる人に購入と運搬を依頼する

実際には「近くにいる人」に対して手数料と信頼が必要になりますが、上記の「指定制の規制」がなければそういう工夫の余地があったのです。

今回の規制では「業者が」ということなので、他者に二重三重に依頼がかかり責任の所在があいまいになることを制限する趣旨が見て取れます。

 

そうなると打つ手が少なくなり、サービスの差別化が困難になります。

そうなるとコストをどれだけ下げられるかという状況になります。

そうなると大きい業者には規模の経済が働きますので、必然的に合従連衡、ひどい場合は事実上の独占・カルテルが形成されます。

そうなると消費者はその大きな業者の言いなりになります。業者が値上げするといえば逆らえません。そのサービスはその業者しか提供していないのですから。

 

いかがでしょう。

行き過ぎた規制・ルールは、健全な競争を阻害し、巡り巡って消費者が付けを払うようになるというのが私の見解です。

 

そこまでいかなくても、差別化が困難になった時点で事業者が撤退することも予想されます。

それはそれで

・残っている事業者がいればその事業者の独占を早めてしまう

・業界そのものが衰退してしまう

という点で、あるべき姿・目指すべき状況かどうかが判断に迷います。

(衰退すべき業界は衰退すべきなのだろうな、と思いますので難しいところです。

公共性の有無と程度の問題に落ち着くと思います。例えば過疎地でのバスなど、赤字でもやってくれないと困りますよね?)

 

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規制は「ならず者」を排除するために必要です。

自由な状況では、業界の健全性は、消費者を含めた各々の道徳観念や常識に依拠します。それは大変脆弱なものです。

なので規制が必要、それは賛成される方も多くおられるでしょう。

 

一方で、規制が行き過ぎるとどうなるのか。

弊害は上記で書いた通りです。

悲観論が過ぎるというご意見もあるとは思いますが、他の分野では規制(や政府の保護)が行き過ぎ、衰退した産業があります。

「バランスが大事」という、どうしようもない結論に落ち着いてしまいますが、だからこそ人間様の仕事なのだと思います。

 

その時その時に、人間は、必要な規制をしてきたのではないかなぁ?と思うのですね。

その結果が悪ければ、背景も理解しようとしない未来の人に「なぜこんなことをしたのだ?(もしくはしなかったのだ?)」と笑われるでしょう。

それでも「規制を作るか作らないか」という判断を行わなければならない。

規制に踊らされる方も大変ですが、意思決定する方はする方で大変だと思います。

 

ではでは。

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