かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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マルチポテンシャライトから学ぶ集中と分散

マルチポテンシャライトという本を読みました。

アフィリエイトで買いました。

 

ton96o.hatenablog.com

こちらの記事のように、アフィリエイトで買った本に関しては、積極的に私の解釈を共有し、お役に立てればと思います。

 

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さて。

https://www.ted.com/talks/emilie_wapnick_why_some_of_us_don_t_have_one_true_calling/transcript?share=16505c2153&language=ja

こちらで映像から楽しむこともできるようです。

TEDはyoutubeにもチャンネルがあるので、そこでも見れるんじゃないですかね?

https://www.youtube.com/watch?v=4sZdcB6bjI8

あったあった。字幕もついているので安心です。

 

書籍の内容としては、

興味の赴くままにキャリアを構築していく方法もあるよ。器用貧乏といわれるかもしれないが、この生き方には専門バカにはない長所もあるのだよ。

という内容でした。

 

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私のブログですので、本の内容紹介にとどまる気はありません。

ここから、集中と分散について考えを広げていきたいと思います。

 

人間は社会的な生き物です。

文明が高度化するにつれて、担うべき役割は多様になってきました。

それに従い、Aに熟達したもの、Bが得意なもの、Cに興味があるものなど、人によって担う役割を分けた方が効率がいいな、と皆が気付きます。

分業の始まりです。

 

車を作るのであれば、従業員一人一人が、一台の車を完成させる腕を持つのではなく、

Aさんはタイヤを、Bさんは車体を、Cさんは塗装全般に特化するという発想です。

これにより、それぞれの分野における技術の習得が早まるのですね。

 

これは仮想通貨における分散とは、似て非なるものです。

それぞれのノードは、(フルか否かなどの種類があるにしても)ノードとしての役割を一人前に果たさなくてはならず、さらにはコミュニティの意思決定を行う場合には、一人の参加者としての意思表明が必要です。

仮想通貨における分散は、スーパーマンがあちこちにいて、参入も退出も自由であるというイメージを私は持っています。

 

先に出した「分業」が、それぞれの専門分野に特化した専門化でありスペシャリストの育成に尽力する社会であるのであれば、「分散」を旨とする観点からは批判が出ます。

先ほどの自動車の例でいえば、Aさんがいなければタイヤを作れなくなり、その工場におけるすべての自動車の生産がストップしてしまうのですね。

もっと言ってしまえば、Aさんがへそを曲げて「俺はこの給料じゃぁ、タイヤを作らねぇ!」と言ってしまうと、その工場で自動車が作れなくなってしまう。

専門家は集中であり、権力の温床になります。

そうでなくても、Aさんがけがをしてしまったりと労働力を提供できなくなると同じように車の生産がストップしてしまいます。

集中は脆いのです。

だから、工場では「多能工」という制度を使い、複数の職務を実行できる従業員の育成に尽力したり、そもそも特定の一人に責任と権力を預けないようにしています。

 

これは会社組織でも同じです。

ケイオスチックな状況で、優れたリーダーが迅速に改革を行う際には集中を旨とした組織構成が合目的的です。

一方でそれは暴君を作り出す恐れが非常に高いので、いずれは、牽制機能を具備しなくてはなりません。

文章でいうのは簡単ですが、実際は非常に難しい。

大きな集団の価値観を変えること自体が難しく骨が折れる仕事であり、今までうまくいっているやり方を変えることも、また、輪をかけて面倒な仕事です。

実行する人間はリスクをしょいますが、それに積極的に協力しない人間は失敗したときにあざ笑うでしょう。

誰も変革をしたくないのです。

大変ですね。

 

じゃぁ、最初から分散した方がいいじゃない?と。

投資の世界でも、卵を一つのカゴに盛るな、というじゃない、と。

それはそうなのですが、投資における分散は、私は資本家の戦略だと思っています。

極端な話、投資資金10万円で分散投資をしましたというのも、なんだかなぁ?と思ってしまう派です。

 

大資本であれば、元本を減らさないことの重要性が大きくなってくるので、リスクヘッジのために分散をさせることが重要になります。

一方で、小資本であればリスクを取って、銘柄を絞り、安い時に買い、高くなったら売るというのが生きる道なのではないかと思うのですね。

 

このような表現だと反発を受けるかもしれません。言い方を変えます。

 

巨大資本の経営においては、コアコンピタンス(自社の強み)を外部環境に照らし明確にしつう、複数の事業を立ち上げていき、うまくいく事業を育てていくのが良さそう。

ベンチャー企業においては、自社の得意分野に絞って、ランチェスター戦略さながら、巨大資本の手が回らない部分にを見つけ選択し、そこに集中するのが良さそう。

 

いかがでしょう?

選択と集中

分散

どちらも表現一つで感想が変わることがあるのではないでしょうか?

 

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話をキャリアに移します。

マルチポテンシャライト自体が、キャリア関連の本ですので。

 

20年ほど前でしょうか。

外資が日本市場に(私が明確に認識できるほど)参入し、「今までの日本的な人材育成はダメだ、みんな、プロになるのだ!」という言説が流行りました。

それまでの日本的な人材育成では、総合職は、営業をやり、生産部門の主任になり、経理部門の課長になり、、、とジョブローテーションを通じ、社内人脈を広げ、他部署の気持ちも業務もわかるようになる。

そんな人材育成を取っていたのですね。

しかし山一證券が破綻し、実際に外資に重宝されたのはそのように育った人材ではありませんでした。

高い評価を受けたのは、数学に優れ新しい商品を設計し、当時の日本社会では一風変わった専門家でした。

だから、「営業成績では俺の方が上なのに、なんであいつが俺より高い年収で雇われるのだ!」という不満もあったそうです。

 

私は、その辺りから日本人がプロフェッショナル礼賛という麻疹(はしか)にかかったのではないのかな?と思います。

 

資格試験でファイナンシャルプランナーというものがあります。

(FPは資格ではなく検定?うるさいな)

これは、ライフプランや保険や金融や不動産や、、、、種々の観点からお金のアドバイザーになれるよ、という資格です。

二級だったら割とすぐに取れます。

(私はユーキャンでとりました。一級はスピードスタディさんのお世話になりました。はったりを利かすのが目的でないのであれば、二級でいいと思います)

私は、FPは器用貧乏の最たるものだと思っています。

社労士にも、不動産の実務に携わっている人にも、保険のプロにも、金融のプロにも。相続における行政書士や税理士にも勝てないからです。

一方で、それなりの修練を積んだFPは、どこかの大富豪の相続問題など、大きなプロジェクトを行うにあたってのまとめ役になれると思うのですね。

逆に、協調意識がないプロフェッショナルでは、大きなプロジェクトのまとめ役にはなれません。皆、自分の扱う商品や自身の知識に自信を持っているからです。そして逆に他の人の専門性を真に迫って理解できないからです。

 

だから、私は、FPは器用貧乏にも、マルチポテンシャライトにもなれる職業じゃないかなぁ?と思います。

 

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少年ジャンプで、アメリカンフットボールの漫画がありました。

聞きかじりの知識で申し訳ありませんが、なんでも、アメフトは選手に専門性を強く求めるスポーツなのだそうです。

足が速い人、投げるのが得意な人、しっかりとキャッチするのが得意な人、相手を吹き飛ばし、見方をガードするのが得意な人。

なるほど。

そんな中、気になるエピソードがありました。

プロフェッショナルではないが、なんでも器用にこなす人を探す。

そんなエピソードがあったのですね。

 

チームは、それぞれの専門性を有機的に結合させることで、大きなことを成し遂げることができると私は思います。

有機的な結合をこなせるのが、器用貧乏かもしれませんがなんでもいろいろ、ある程度分かる、マルチポテンシャライトなのではないでしょうか?

 

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観点を一気に飛ばします。

イデアの話をします。

 

イデアはすでにあるものの組み合わせであり、0から1を作り出すことなんてめったにない。

多くの人が知っていることです。

だから、マルチポテンシャライトといえども、自分の武器を客観的に見つめ、興味の赴くままに進むにしても、すでにある武器をそれなりに生かせる分野を選ぶのが良いのかな?と思います。(実際興味がある次の分野は、マルチポテンシャライト自身にはそれなりにストーリーが出てくるように思うのです。マックのCEOがカリグラフィーをうまく活かしたように)

 

このアイデアなのですが、かけ離れたものの組み合わせであればあるほど面白いものができるように思います。

ゆで卵とスクランブルエッグの組み合わせからだと、おそらく卵料理が出てくるでしょう。

ところが

亜鉛とイソギンチャクをそれなりに納得できる形に一つのものにできたとすると、それはなかなか非常識なものが出来上がると思うのですね。

 

奇をてらえばいいというものではありませんし、組み合わせをうまく一つにまとめる能力が相当に必要でしょう。(高度な次元での抽象化、です)

さらに言えば、頭の体操ならともかく、ビジネスの上では採算がとれるかどうかを考えるのも重要な能力です。

 

しかし、他の誰かではなく自分であるためには、それらすべてを矛盾を含め一つに結合する必要があると思うのです。

それがマルチポテンシャライトなんじゃないかなぁ?と思った次第です。

 

本文にて、レオナルドダヴィンチが出ていました。

建築家であり、美術家であり、、、、、と、高度なマルチポテンシャライトです。

私の理解では、彼は、それらすべてをひっくるめた、クリエイターという抽象的な職業の専門家だったと思うのですね。

 

マルチポテンシャライトは自分という職業の専門家です。

 

ではでは。

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