物騒なタイトルですが。
以前
このような記事を書きました。
戦略論の学者が書いた、組織論の話です。
(学生の方、理系の方、外国の方など様々な方に、自信をもってお勧めします)
ブログタイトルの宦官は、中国で成立した後宮の使用人ではなく、上記の本で書かれている定義に由来します。
自分では何もしないけれど、口出しはする人のこと、です。
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多くの人が体験していると思いますが、宦官がいるとなかなか物事が進みません。
宦官は自分で動きたくないのです。
失敗するかもしれないし、自分の実力が露呈するかもしれないからです。
リスクを取って責任を取るより、誰かを走らせてその仕事が成功しそうなことを確認し、口先三寸であたかも最初から一緒に実行していたことにします。
そういう政治手腕は芸術的です。
リスクを取って何かに挑戦すると、成功したり失敗したりします。
だから、挑戦者は失敗したときに批判され、多くの場合「成功した場合のメリット < 失敗した場合のデメリット」となるようです。
なので、割に合わないのでその組織から挑戦者はいなくなります。
それでは、乗る勝ち馬がいなくなるので、宦官はしきりにきれいごとを言います。
「挑戦しろ!」
宦官はそれを言えるだけの社内的な地位があるんです。
挑戦者が出てきても、宦官は責任を回避するために保険をかけることを忘れません。
「こういう場合は大丈夫か?」
「これについては考えたのか?」
以前、私はこのような記事を書きました。
この記事の中で私は
起こりうる危険を何も考えず実行する人を「ポジティブっぽい」 と
起こりうる危険をリストアップしてその対策を講じたうえで実行する人を「ポジティブ」と
表現しました。
宦官は一味違います。
自分の立場の浮沈がかかっていますので、微に入り細を穿ち、時にはその指摘を行うことによりマウントを取ることも忘れません。
「どうだ、私はこんなことまで考えているのだぞ」
こうなってくると、適度なリスクマネジメントをおこなう、私の表現でいう「ポジティブな人」と、宦官の区別は難しいと思われる方もいるかもしれません。
私からすると明確です。
そのプロジェクトに対し、最後まで面倒を見るか否か。
そのプロジェクトが「自分事」であるか否か。
宦官は、挑戦者に対し、嫁をいびる姑よろしく、細やかな注文を付けます。
物事が進みません。
挑戦者は一度殺されます。
挑戦すると、当然成功することがあれば失敗もあります。
失敗した時、にっこり笑って後押ししてくれていたはずの宦官は隣にいません。
どこかで、素知らぬ顔でこうつぶやきます。
「だから言ったのに」
挑戦者は二度殺されます。
失敗した挑戦者は、組織から出ることもあれば残ることもあるでしょう。
ことあるごとに、過去の失敗を指摘されます。
それは時に、当の宦官により行われます。
「あいつは、こういうことをやって失敗したんだ」
挑戦者は三度殺されます。
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今回この記事を書こうと思ったのは「ダントツになりたいなら、「たったひとつの確実な技術」を教えよう」という本を読み、思うところがあったからです。
プライム会員なら無料で読めます。
乱読しているうちの一冊です。
この中で、筆者が、プロゴルフ選手として進むべきか否かを迷っている人にアドバイスをするシーンがあります。
七〇歳になったとき、人生 を ふり 返っ て、『 私 は そこそこ 働い て、 そこそこ 勉強 し て、 そこそこ ゴルフ を し た わ』 と 思い たい です か? それとも、『 私 は若い とき に 鋼 の 決意 で、 ゴルフ の 世界 チャンピオン を 目指し た わ』 と 言い たい です か?『あの頃の私は頑張ったわ。挑戦するほうを選び、夢を追いかけたのよ』 と。
エリック・ベルトランド・ラーセン. ダントツになりたいなら、「たったひとつの確実な技術」を教えよう (Kindle の位置No.583-585). . Kindle 版.
今、これを読んでいる私は、少なくとも、挑戦し夢を追いかけた人を結果でごちゃごちゃ言ってはいけないなぁと分別が付いています。
願わくば、土壇場で、感情的になった時であっても、分別が付いている人間でありたいと、ましてや宦官にはなりたくないなぁと思います。
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このような綺麗ごとをよく見かけるのですが、私ですと、自分はそんなキレイな人間かなぁ?と疑心暗鬼になってしまいます。
「実際にやっていることは宦官なのに、自覚がない」という人をたくさん見てきているからです。
自省して、振り返り、自分に疑惑を持てるうちは、まだ健全なのだと思っています。
ではでは。
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