意思決定と聞いて、どういう印象を持ちますでしょうか?
上記を合わせて読んでいただくととても嬉しいです。
上記では「決断」と表現しています。
意思決定の難しさは、その行為自体だけにあるのではなさそうだ、という話をします。
簡単な概念を難しくしようとしているわけではありません。
いたずらに、恐怖をあおっているわけでもありません。
ただ、なんとなく、意思決定って軽く考えられがちだよな、と思ったのですね。
「決めるだけじゃん、簡単じゃね?」と。
その理由は次の要因があるように思えます。
1)結果に左右される
2)文脈に左右される
3)難しい意思決定を想像できていない
1)結果に左右される
大企業が、「わが社の本業はこれだ」と、時世にあわない業務を手放さずにやり続け、業績を悪化させてしまったとします。
こんな時、私たちは「上手くいきっこなかったんだから、新しい分野に軸足を置くべきだったのに」と言いがちです。
軽く、そして悪気なく。
一方で、
大企業が「わが社の本業はこれだ」と、一つの事に集中して取り組み、業績を大幅にアップしたとするとどうでしょう。
「さすが」と。ほめたたえるのではないでしょうか?
「企業の強みを把握しており、それに注力した。まさに選択と集中を体現した」
そう、言ってしまうのではないでしょうか?
これはいろいろなところで起こりがちです。
私がぱっと思い浮かぶ具体例は牛丼チェーン店です。
牛丼一本に注力した会社が業績を上げれば、そちらをほめ、
牛丼のほか、サイドメニューに手を広げた会社が業績を上げれば、そちらをほめるのです。
もちろん意思決定時点では、どちらが当たるかなんてわかりません。
その中でなされた意思決定は、結果如何によって軽く考えられてしまいます。
「あんな意思決定するなんて駄目だね」なんて。
私もやってます。
じゃ、みんなやってるから仕方ない、で済ますのもアレなんじゃないかと思うわけで。
わかっててもやってしまうから、気を付けよう、と。
各種バイアスと同じ扱いをすべきなのかな?と思います。
結果を見て、その評価を下すのは子供でもできることです。
私自身、気を付けたいと思います。
意思決定は、結果が見えない中で方向を指し示すことに意味があり、結果は実行力と運で決まるような気がします。
だから、意思決定の評価を結果だけで行うというのは稚拙です。
2)文脈に左右される
私たちは、同じ事象であっても、その説明によって印象を大きく左右されます。
誰から聞くのか。どういう流れで説明をされるのか、という文脈によって、です。
同じことを言っているのに、Aさんの説明には納得できるが、Bさんの説明は軽んじてしまう。
言っていることがもっともで理屈が通っていれば、誰が言っていようが公平に評価を下すことがあるべき姿だと思うのですね。
私は、物事を、それを説明する人に依らず内容で判断したいと考えています。
それができれば、今現在実績がない、もしくは少ない、将来の天才を見抜くことができるからです。
しかし、私は人として未熟なので、説明する人次第で影響を受けてしまいます。
例えば、確かに「泥棒するのは悪いことだ」 というのは正論ですが、泥棒がそれを言っている場合、その言葉を正しいと判断すること自体はできます、が、モヤっとします。
お前が言うなよ。と。
モヤっとしつつも、話の流れに左右されず、言っていることそれ自体で評価できると、きっと、演出家のパフォーマンスに騙されないのではないかな?と思っています。
ここでひとつ、お話をします。算数の話です。
「0.999999.......と無限に続く数=1」なんです。
0.999999.......=xとします。
10倍して、10x=9.999999.......となります。
10xからxを引くと「9x=9」となるので「x=1」です。
これをきいて、納得できない人はいると思います。
「10倍するのはいいけれど、その、一番最後の部分で桁上りが起こらないのかね?」
起こりません。無限ですから。
そういう方でも、次のように話をするとご納得いただけるはずです。
1÷9は分数で表すと、「1/9」ですね。
小数で表すと「0.111111.......」です。
この「1÷9」を「x」としましょう。
xを9倍すればどうなりますか?
小数で考えると「0.999999.......」で、分数で考えると「1/9 × 9 = 1」ですよね?
どちらも、9xなので「0.999999.......」=「1」になります。
いかがでしょう?
ここでいいたいのは、「0.999999.......」=「1」になりますよ、という端的な知識の披露ではありません。
最初から分数での演算を使えば、納得されていた方であっても、小数で説明されると納得がいかない場合がある、という点です。
それがまさに、私が表現する演出でありパフォーマンスです。
同じことを言っているのに、説明の順番を変えるだけで「アハ体験」をする人が出てくるんです。
今回のアハ体験は、面白いと言えば面白いものですが、詐欺師や演出家には気を付けなければならないなぁと思います。
3)難しい意思決定を想像できていない
冒頭の記事で、ある文庫本を紹介しました。
いい本なのでぜひ読んでください。
その本の最後に、筆者は難しい意思決定を迫られます。
内容は本文に譲るとしまして。
我々は意思決定というと、あれを買う、これを売る。
大きなものでも。この事業に進出する、あの事業を縮小する程度のものを想像するのではないでしょうか?
これらの「問い」の悩ましいところは、
・「やる」か「やらない」かの二択であり
・多くの場合、どこかの誰かから不満は残り
・100-99=1で「やる」と決断した意思決定と、1-0=1で「やる」と決断した意思決定は、その内容を説明されない限り、結論は同じなので二者の区別がつかない
という点にあるように思えます。
前者二つは、特に問題がないと思います。
賢者でも間違うことはあるし、愚者でも良い結果につながる選択をすることはある。
全員が丸く収まることは、多くの場合、ない。
最後を説明します。
100-99=1は多くの事象を考慮したことを例えており、1-0=1は思慮が浅いにもかかわらず、先述の結論と同じ結論を導き出していることを表しています。
意思決定に割けるリソース(時間を含む) は限られていますが、それが一回限りのギャンブルでないのであれば、それなりのプロセスがあると再現性が高まっていいんじゃないのかな?と思う派です。
これはこうだ、とテキパキ決めてるとなんだか気分が高揚してきて有能感・万能感が出てきます。
周りにいる人間としては、そのような人を頭の回転が速い人だと評価しがちです。
一方で、それが思慮の浅いとりあえずの決断でないかどうかは、慎重に判断した方がよさそうです。
誰かと何かをするときに、結論が同じならそれでいいというものでは無いようです。
意思決定の結論に至るにあたって、プロセスや考慮の範囲と深さがわかっていればお互いに安心できる気がします。
意思決定はそれ自体が難しいものというだけではなく、どのように意思決定をしたのかを評価する必要がある点に注意すべきなのかなと思う次第です。
尚、自分一人で反省すると自罰的になったり大事なポイントを忘れていたりします。
人とのやり取りで深く行うと、問い詰める形になりがちです。
何より難しい課題なのが、大事な部分が言語化できないことがある・言語化できない部分こそがその人の意思決定における重要な部分であることがある、という点です。
結論と結果はもちろん、どういう情報をもとにどういうプロセスでどういう意思決定をしたのかの検証をする。
そこまでやって、言語化できない部分の評価になるのであれば、それはもう、意思決定力の評価の観点から序列をつける意味はないのかなぁ、と思いましたです。
意思決定は船の舵を切ることであり、進むべき方向を指し示すことだと考えています。
結果には実行力と、時勢が絡んでくるので意思決定の質のみをどこまで独立して評価できるかは大いに疑問だからです。
特に、「○○しない」という意思決定の評価は難しいと感じます。
撤退戦略を志向している状況での意思決定は、ことごとく低評価されがちです。
評価齟齬をなるべく小さくすることや、意思決定の得意分野や不得意分野の分析はできるかもしれません。
まとめます。
意思決定の難しさは、他と比較し評価することが難しいことにある。
評価はプロセスや結果からされうるが、プロセスの評価においても、ましてや結果から意思決定の良否は評価しずらい。「○○しない」という意思決定の場合はなおさらである。根本的に質の良否を評価できる人自体が少ない。
せいぜい、できて、得意分野を見つけることくらい。
であれば、目標を現実にする実行力・実現力の向上・評価が先に来てもいいのではないか?
ではでは。
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