スマホアプリで、ひょんなことから健康管理的なものをインストールしました。
歩数など健康情報を毎日管理してくれるらしいです。
その他、いろいろな機能がありますが正直あまり見ていません。
今日、それなりに歩いたのですね。
街中、郊外ふらふらと。
ですが、スマホを忘れていたんです。
財布は持っていたので一日の生活に支障はなかったのですが、アプリで管理されている私の運動量がえらいことになりました。
その日の私の運動量、32歩。
何かを管理してそこから評価をするという点で、健康管理アプリも一種のスコアリングシステムといえるでしょう。
現状、Jスコアなどのスコアリングシステムは、年齢や食生活などでスコアが変わるようです。今も導入されていると思いますが、実際の運動量をスマホで計測するようです。
ここで気づいた点、二つ。
1)計測してもらうべき主体に対して計測されなかったものは、無かったことにされる(スコアに反映されない)
2)一元管理されないと意味がない
1)は今回の歩数のように、計測すべきデバイスに感知されないとスコアに反映されないということで分かりやすいと思います。
また、GPSでなく万歩計のような仕組みで計測されるのであれば不正もやりやすいでしょうし、管理主体がいるのであれば、より、不正(や利益供与)が行われる危険性は高いでしょう。
2)について説明します。
今回の健康(運動)管理アプリと、例えば食生活管理アプリがあったとして、本来測定されるべきスコアはそれらを総合したものであるべきはずです。
しかし、インストールしたアプリのスコアしか測定されません。
例えば、今週末は運動をあまりしていないけれど、重いものを食べていないのでカロリー的な収支は合う、ということを計測するには、運動と食事、両方の側面から計測が必要です。
運動管理アプリしかインストールしていなければ、今週末は運動をしていないからダメダメであるという評価が下されます。
別の具体例。
家計簿管理、資産管理が金融関連の機能として標準装備となりつつあります。
現状別カウントされていますが、投資信託であろうが、実物であろうが、金(ゴールド)であればそれとしてカウントすべきという問題点は以前書きました。
現状、投資信託の時価総額はいくら、金(ゴールド実物)時価総額はいくらという表現になっているのは、アセットアロケーション管理という観点で見ると非常に具合が悪いのですね。
それと同じように、ある銀行を利用した資産管理ではいくら、別の金融機関ではいくらとバラバラになっているのも非常に不便です。
本来管理すべきは、それらを総合した資産管理であり収支管理であるはずです。
そこからスコアリングがされるのであれば、総合した判断がされて当然だと思いますが、管理する範囲が別にあるので合算ができるのは本人だけ、となります。
こう考えていくと、スコアリングシステムの今後は二つのシナリオが考えられます。
1)一社の独占
利用者は、有望なところにすべてを管理し評価を委ねる道筋。
2)情報の所有権は利用者にあり、評価測定のタイミングで対象に情報を渡す仕組みが厳密に整備されてくる。
情報を企業に垂れ流しにするのではなく、利用者が保持し続けておき、利用者が企業に評価してほしいタイミングで情報を渡します。
リアルタイム性を追求すると、現状のアプリによる監視と大差が無くなるのかもしれませんが。
あるべき姿としては2)です。
なぜなら、複数の目から測定を行うことが可能だからです。
一つの目に評価を委ねるのは、わかりやすく利便性が高そうですが、独占を促進する行為であり競争を低下させる考えです。
例えば歩数であっても、あるアプリでの管理はスマホから。別の評価は本人のGPS移動状況から、というように複数の面で管理を行えば、今週末の私の歩数のような結果には至らないはずです。
少し未来のことを言えば、同じものを計測・測定・評価するのであっても、各社がベストな方法を模索し競争することで、より良いものへの改善が行われるように思うのですね。
利用者が一時的な利便性から一社に情報を委ねるのではなく、複数のスコアを利用する姿勢を堅持することによって競争が生まれ、巡りめぐって利用者により便利な機能性の高い仕組みが生まれるはずです。
最近スコアリングについて偏っているのかもしれませんが 、なんとなく。
スコアリング設計で重要なのが、計測主体が測り切れていないものがある事を自覚することだと思っています。
だから、「うちで測れるのはこういうスコアですよ」というコンセプト自体が肝なのかな、と。
実際、私が使った健康管理アプリではスマホを持ち歩かなかったので、運動量が少ないと計測されたわけですし、運動量からのみ評価を下すのであれば、カロリーバランスという面だけから見てもそれは片手落ちです。
まずはコンセプト、そして計測できなかった部分を減らし、計測できていても不適切であったものはより良いものに改善していくという流れになるのだろうな、と考えています。
マズいのは、たぶん、コンセプトが抽象的過ぎて、どうやって計測していいのかわからなくなってしまい(業務フローもITシステム的な仕様も決まらず)迷走すること、でしょうか。
サクラダファミリアを例に出すのは壮大すぎるかもしれませんが、計測主体が
・これで漏れがないのか
・より良い測定方法はないのか
を模索し続けることが重要だと思っています。
こういうことを書くと、「失敗を前提にしているのか?」とか「ネガティブだ」と思われるかもしれませんが、根拠のないGOサインを出すよりはましだと考えています。
設計は永遠の未完成品であり、不備が出たときにどのように環境に適応させるのかが大事なはずです。
ではでは。
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