かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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理解と腹落ちと行動におけるキャズムの話

キャズムとは溝を意味します。

 

マーケティングで、新しい商品が普及するまでに消費者を分類する考えがあります。

ざっくり、新し物好きの方だけに受け入れられるだけではだめで、幅広く普通の人にも受け入れられて成功する、というものです。

そこに立ちはだかるのがキャズムで、水の沸点や関数の変曲点をイメージしていただいてもいいと思います。

そこを超えれば潮目が変わる。

そこがキャズムです。

 

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人の話を聞いて、「そうそうその通り」という感想を抱くことがあります。

それがおそらく、一番聞いていて心地よい話です。

 

表題に準じて、ここでは腹落ちする話、とします。

 

人生を豊かに過ごすには、それだけではどうもよろしく無いようです。

変化が生じないからです。

今のままで良いという考えは安定をもたらしますが、改善する機会を奪っているとも捉えられます。

 

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行動が全てだという人がいて、私はそれに賛成です。

これだけ情報があふれている時代、一次情報に拘らなければ、多くの方がその場に合わせた「正解」らしき意見を述べることができるようです。

わかっている。それが多くの賢い人の状況です。

では、その人たちが全員行動できるのかというと、そんなことはないわけで。

なのでGRID力や習慣化という論点が取りざたされるんだおるなぁと感じます。

 

人生を豊かにする知識や知恵はわかっているだけではあまり意味がありません。

行動まで行き着いてこそ、そのメリットを享受できるようです。

 

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腹落ちした話から始め、話を行動へとシフトさせました。

その前段階、理解と腹落ちの間の話をします。

 

他の人が話す全てを納得し腹落ちしなければいけないのかというと、そうではないと思います。

物事の多くは、先人たちが工夫を凝らして考えを突き詰めて、トレードオフの関係になっているものが多くあるように思うのです。

そうなるとどちらが正しいというのは言えず(言いづらく)、できるのはせいぜい、メリットとデメリットを理解し、自分で納得できるような選択をすることくらいです。

 

だから、相手が信じていることであっても、自分は納得できない事なんていくらでもあるはずです。それはもう、価値観が違うとしか言いようがありません。

ただ、相手の話、こういう前提でこう考えているからこういう結論に至るというロジック・流れを理解できてもいいように思います。

 

こういう前提だとこう考えるんだ、結論に至るまでの材料はこれだけあってこれを重視して考えたからこういう結論になるのだ。

自身の思考に役立つかどうかはわかりませんが、人の思考プロセスがわかるようになるとそれは人生を豊かにすることにつながるように思います。

こういう人もいるということが理解できるからです。

 

腹落ちする話の段で、

今のままで良いという考えは安定をもたらしますが、改善する機会を奪っているとも捉えられます。

と書きました。

 

理解できるけれど腹落ちしない話は、上記を補ってくれるように思います。

変化が激しすぎると疲れちゃうんですけども。 

 

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さて。

 

表題は「理解と腹落ちと行動におけるキャズム」です。

三要素の間の話だから、論点は二つ。

なのですが、実はもう一つ大きな溝・分断、すなわちキャズムがあると考えます。

 

それは、そもそも理解できるかどうかというキャズムです。

 

国語の現代文は、入試問題として出てくる場合、そこには説明可能な理屈があります。

だから、著しく現代文の成績が悪い日本人は、相手の話を正しく受け取ることができていない、という点で致命的です。 

ton96o.hatenablog.com

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ですが、私は、そこまで理解力が無い人が多いと思わないのです。

実は、理解力がある人が多い、本当に理解力が無い人は少ない。

にもかかわらず、日本語を理解できない人がいる。

 

多分、「きっとこういう事を言っているんだろう」という侮りや偏見や予測、そんなバイアスが、相手の発信情報をそのまま受け取ることを阻害しているように思います。

 

理解できると人生が豊かになるというより、理解できないような態度だと不要なトラブルを引き起こすように思います。

 

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「いいことを聞いた」で終わらず行動できると素晴らしい。

「自分はこう考える」で終わらず多様な価値観を受け止められると素晴らしい。

 

しかし、それは、その土台となる「情報をきちんと受け取る」という能力(というより姿勢)があってこそだと。そんな感じです。

 

逆に言えば、情報発信をする場合、その背景や前提条件を結論とセットで発信しなければならないように思うのです。

 

ではでは。

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