会社はだれのものか、株主か経営者か従業員か取引先か顧客か、という問題は長年、出てきてはすたれている話題のように思えます。
— ton960 (@ton960) 2020年6月20日
今回だけ盛り上がり続ける気はしません
「幸福な職場」という挑戦 従業員に肉薄しよう:日本経済新聞 https://t.co/3EvhOsqe6h
大学で経営学を学んでいる人であれば、大概、議論の俎上に上がります。
商法上(会社法上)、会社は株主のものです。
株主と経営者が、特に大企業では別であることが普通であり、所有と経営の分離、なんて教えられます。
今回は、その話題だけでなく、その話題を出すことについて考えます。
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この話題を出すと、結構高尚なことを考えているように思われるので、格好がつきはします。
ですが、きっと、答えは出ない問題で、さらにどこかのタイミング誰かが答えにたどり着いたとしても、外部環境の変化によって変わるものだと思われます。
ちょっとイメージしずらいと思うので補足します。
敗戦直後の日本で、外国から物資を輸入してくる、それが食料などの必需品だったりすると、かなりその企業は顧客のために存在していると言えるのではないでしょうか?
事業を起こした人も働いている人も、飢えを無くさにゃならん、と頑張る姿が想像されます。もちろん鞘を抜くことは考えているでしょうが、それでも「どうにか飯を食わせたい、ひもじい思いをさせたくない」という思いで動いているのではないでしょうか?
そこでの答えを、会社は主に顧客のものと出したとします。
それが高度経済成長期を経てバブルの時代になると変わってくるように思うのです。当時の言葉で「財テク」という言葉があったそうで、「財務テクノロジー」の略だそうです。どのあたりがテクノロジーかはわかりませんが、きっと不動産や金融商品に会社が投資する「技術」ということでテクノロジーだったのでしょう。
そんな状況では、主に顧客のもの、とはならないはずです。顧客のものであれば、商品を値下げしたりと利益還元をするはずです。財テクをやっている会社は、株主や経営者や従業員のためのものだったのだと思います。
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私のこのツイートにレスをつけてくれた人がいまして。
趣旨としては「皆が幸せになるためのもので誰のためのものでもない、何故なら法人格という人格があるから」とされていました。
ただの仕組みとするのは一つ工夫された考えのように思います。
ツイートそのものを引用していない時点で察せられるでしょうが、私はこちらに反対です。
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人格を持っているから関わる人が幸せになるためのもの、というのは納得しかねるところです。
私は、人格を持っていますね。
私は、誰か関わる人を幸せにする義務を負っているのでしょうか?
好き勝手にワガママを通したいとか、他人を不幸にしたいと考えているわけではもちろんありません。他人を幸せにするために生きているのか?と問われると、それは違うんじゃない?という話しです。
私は私を幸せにするために生きていて、関わる人はあくまで他人です。
同じように笑って幸せになれれば幸せなことですが、必ずしもそうなるとは思いません。
時には自分が譲って相手を幸せにするべき時もあるでしょうが、それが本分だとは思わないのです。
また、人間は人格を持っていますが会社に勤めていれば従業員として会社の労働力となります。会社に労働力として所有されていると言ってもいいでしょう。誰か配偶者と婚約すれば、それもまた一種の支配で一部所有されていると言っても過言ではなさそうです。子供に至っては親の影響を大きく受けますので、配偶者よりは所有物としての割合が比較的高くなりそうです。ペットだって人格(動物格?)を持ってはいますが、民法上は所有「物」ですし、虐待とか酷いことをする人もいますよね。
そうなると、人格を持ってるからどうのこうの、というのは論理が通らないように思うのです。
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さらに、人格(ここでは会社なので法人格)があると、関わる人を幸せにできるのかというと、そこにも疑問が残ります。
会社における意思決定機関は、会社法上、通常は取締役会で最高機関は株主総会です。
取締役会でガバナンスが効いているのでしょうか?
効いているのであれば、現在ESGなんて言葉が流行っているのはなぜでしょう?
株主総会でガバナンスが効いているのでしょうか?
株式を持っている方は投票をしたことがあると思いますが、どこまで会社経営のことを知悉して投票をしたでしょうか?
結構野放図になっていて、経営者の独裁がまかり通っているのが多くの現実だと考えます。
その現実を加味して考えれば、会社は経営者のものなのかもしれません。
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と、ここまで一般的な「会社はだれのもの?」という話しを続けてきました。
では、この話題を出すことについて、です。
・会社は誰のもの?という問いに、おそらく答えは存在しない
・例え答えが見つかったとしても一時的なものであって、それは外部環境の変化で変化する
という点を説明してきました。
ということは、「会社はだれのもの?」という話題が出る時というのは、既存の常識である「会社は主に○○のもの」という認識が覆りそうな時だと思うのですね。
逆に言えば、今までと同じであれば、世の中が今までと同じように続くという認識であれば、このような問いが世の中で、一般的なニュースで話題になることはないと思うのです。
世の中が変わろうとするとき、根本的な「そもそも○○とは?」と誰もが考えがちです。そんな風潮を理解してか知らずか、それとも風潮を生み出しているのか再生産しているのか、メディアはそれに乗っかります。
その話題は「会社は誰のもの?」という問いだけではありません。
現在、我々は時代の変化を目の当たりにしているのだと思います、
ではでは。
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