コロナと言わず武漢肺炎としたかったのですが、武漢肺炎はコロナの一種で今回のものがさらに変異する可能性も大きいので今回の表題となりました。
GOTOキャンペーンがあるから止めたくはないでしょうし、私自身止めてほしくありませんが.........
— ton960 (@ton960) 2020年7月2日
本当にやばいと世間的に合意が取れた時には手遅れっぽいんですよね。
» 東京は第2波が来たのか 経済止めたくない政府の思惑(産経新聞) - Yahoo!ニュース https://t.co/2bhmpBy4J7
政府の物理学だかなんだかの先生がデータから自粛は必要なかった的な結論を出したという話しは聞いています。それは医療現場を斟酌しなければの話だと私は考えています。
— ton960 (@ton960) 2020年7月2日
最近は余裕が出てきたというニュースもありますがそれがどこまで本当かはわかりません。
これ以上はもうやめてくれ、というのは私も含めた社会人の切なる願いではありますが、政府が何を軸に動くのか、現実どこまで広がるのか次第だと思われます。
— ton960 (@ton960) 2020年7月2日
ブラジルみたいなのが好みです?
検査数が増えてきているので絶対数が増えるのは当然というのも理解できます。
(以前は十人中三人感染でその中の症状が酷い一人しか検査していなかった。現状、住人中五人とか。数字は適当な具体例)
だから、絶対数のみで一喜一憂してはならない。仰る通り。
じゃぁ、増えていないのかというと(条件が同じではないので単純比較はできないものの)そんなことはなく、増えているはずです。
以前こういう記事を書きました。
まさに武漢肺炎によって日本政府が決断を迫られていたタイミングです。
前門の虎後門の狼、損失確定での決断ですので、何を大事にするかという優先順位とどれだけ損失を減らせるのかが目的の意思決定です。
例えば。
ドラマや映画の世界。刑事が家族を人質に取られて絶体絶命、悪者には「お前の奥さんと子供どちらかの命は助けてやる」と言われた感じ。絶望感。
世界的に広がった後は「赤信号皆で渡れば怖くない」という思いも責任者には一服の精神安定剤という役割を果たしたでしょうが、上記の時点で日本は観光クルーズ船の問題や隣国との比較で批判されており、日本国のトップは結構なプレッシャーだったと思われます。(だからといって礼賛するわけでもありませんが)
----------------(‘ω’ っ )3
冒頭の話に戻ります。
私の理解では、コロナはもともと存在するもので、だからこそ武漢肺炎(COVID-19)は「新型コロナウイルス感染症」と言われているわけです。新型の新型は出てくるでしょう。違うんですかね?
ということは、武漢肺炎に対しての抗体や治療薬ができ、感染→治療→復帰というサイクルが確立されても、新しいものが出てくれば一から作り直す必要が出てくる可能性はあるのでは?と素人ながらに思います。
違うんですかね?
冒頭にTwitterを貼り付けました。
直近の問題は、(広い意味のコロナでなく)武漢肺炎(COVID-19)の第二波が来るかもしれません、その時、官は?という意思決定が必要とされています。
それに対しての素人の感想をツイートしています。
おそらく、多くの方が気をもんでいるのも、そこでしょう。
----------------(‘ω’ っ )3
しかし、時間軸をもっと広くとって考えてみる必要があると考えます。
対象はコロナだけにとどめる方がより深く考えられそうです。が、それが良いとも言い切れず。
日本でも豚コレラなどがニュースにもなりました。養豚業を営んでいる人が悔しさをにじませながらインタビューに答えている姿が印象的でした。殺処分は財産を失う点でもかわいがっていた生き物を殺さなければいけない点でも、キツイ。
それ以外の人間としても、いつも食べてる国産の肉が食べられなくなる点はつらい。人として生きている動物を無為に殺さなくてはいけないのはつらい。
家畜家禽の感染症でも人間社会は右往左往します。
時間軸だけでなく、感染症全般で考えてみた方がよさそうです。
豚コレラの例を出すと、行政の意思決定で殺処分は決まるんですよね?そう考えると、それを決断する人が情け深い人であるほど気の毒です。人間なら多かれ少なかれ自己嫌悪や罪の意識にとらわれるでしょうし、「仕方ない」「誰かが決断しなければ」と強がっている人がいたとしても、その胸中は如何ばかりか。
少なくともニュースを見て「わーかわいそー」と言っている私よりはシリアスなはずです。
コロナですと対象が人です。
そんな意識は、より強くなるように思われます。自粛要請というソフトな都市封鎖を行うだけで経済的損失は大きかったのでしょう。
さらに、医療現場の崩壊が始まれば、誰を助けて(言い方は悪いですが)誰を見捨てるかという決断を、現場の医師がしなければなりません。
想像するだけで私は胃が痛い。私は医師でもないのに。
----------------(‘ω’ っ )3
今後は、「今自粛させるか否か」「命を取るか経済を取るか」という決断が責任者の一生に一度の決断ではなくなると考えます。
首相でいえば、解散総選挙をやるくらいの頻度になるのかもしれません。
どうしても、国民が振り回される構図ができてしまうように感じます。
負け戦の指揮を執る回数が増えるということです。
起きたかもしれない被害を防ぐことができたとしても、その数字は測れません。だから責任者の決断でどういう被害が出たかだけがクローズアップされます。誰がやってもそうなるはずです。
国民はその時々の責任者の決断を正しく評価(ジャッジ)できるのか?できる人がいるのか?というと、おそらくいませんよね。
そうなると、政権交代が起こりやすくなるのかな、と予想します。
悪いことが起き、被害を最小限に食い止める決断を正当に評価することは難しい。
一番いいのが感染症が流行らないことで、私の予想が外れる事です。(政権交代が起こらなければいいと思っているわけではありません)
「コロナ?そんなのあったね」「自粛は息苦しかったよね」そんな思い出話になると嬉しいのですが。
ではでは。
?