かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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真実よりも納得

人間には、能力的なものであれ時間的なものであれ、限界があります。
だから、全てのものを調べることは不可能です。
どうしても伝聞を使わざるを得ないため、その人と自分におけるバイアスと上手く付き合っていく必要があります。

(例えば、あの人はどんな人?と聞いて、その人に好意がある人は良いところを多めに、悪意がある人は悪いところを多めに話すでしょう。そして自分は、やはりその人への感情や、伝えてくれる人への感情等によって「偏り」がでます。そして実際に会ってみると新しい感情を抱くことがあります。それは聞いていたより全然いい場合もあるでしょうし、実物を見てがっかりという事もあり得ます。)

数多ある情報の中から、信ぴょう性が高いものを取捨選択し真実に近づけられれば一番良いのですが、それにかけられるコストは現実的な量になります。それに応じて真実性も左右されると考えられます。

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戦略論やリーダーシップの観点のエピソードとして、地図の話があります。

 

登山してた数人のグループが雪山で遭難するんです。

ウロウロとさまようも、迷ってしまった、と。

リーダーが一枚の地図を持ち出し「これはこのあたりの地図だ、この通りに歩けば俺たちは助かるぞ」

力強く宣言します。

そして、彼ら彼女らは見事生還を果たすのですが、リーダーが持っていた地図、彼らが歩んできた生還への道筋は、実は別の山の地図だった、という話しです。

 

このエピソードは、いろいろな文脈で引用され「リーダーはとにかく道筋を定めることが大事なんだ」とか「みんなを納得させられる態度・言動こそが必要条件だ」など、さまざまな教訓を得られます。

 

本記事ではタイトル通り、「真実よりも納得」という観点で考えます。

 

思うんですが、数人は、もしかしたら全員が、気づいていたのかもしれません。
その地図はこの山の地図ではないことを。
そうだとしても、この地図の役割は大きい、何故なら助かるための行動を実行するきっかけになったからです。
もちろん、歩みを止めたいと思うこともあったでしょう、でも、地図があるから。地図通りに行けば助かるから頑張れた。それで実際助かった。

 

そうなりたいと願う結果に導いてくれるのであれば、信じる対象が真実かどうかはどこまでが問題でしょうか。真実を直視しないことは一般に悪いことではありますが、行動を起こすためにはむしろ狂信的になったほうが良い時もあるようです。

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人間は真実になかなかたどり着けません。能力的にも、コスト的にも。
現実世界で採算が合えばそれでいいので、絶対的な真実は必ずしも必要とされません。
そもそも、多くの人が、真実を知りたい考えたいなんて志向はないように思えます。

 

真実はわからない、良いかどうかわからない。そんな不安定な状態は多くの人が耐えきれないので「これを信じておけば常識的だ」という話しに乗っかりがちです。

 

この文章からはあまり良い事のように思えませんが、先述の遭難した状況ではむしろ美徳です。

行動してもらうためにつく嘘はホワイトライでしょう。

意図的か否かはわかりませんが、優れたリーダーはこの「真実ではないかもしれないが納得する話」をうまく使っているように見受けられます。

 

真実を知りたいとは思いますが、現実に生きている我々にとって大事なのは走り続けるための糧であり、その糧の性質で重要なのは自分が納得できるかどうかです。

 

遊園地やテーマパークで食べる食事で重要なのは、気分を上げてくれるキラキラ。値段や味や栄養は二の次なのです。

 

ではでは。

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