かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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最大の、そして最悪のバイアス

色々なバイアスがあると思うんですが、細かい話は専門家にお任せしまして。

ここでは「私たちのモノの見方には偏りがある」という事だけを念頭に置いていただければと思います。

それはご存じの方が多いと思うので、どういう風に使うのかという一例をメモしておきます。

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バイアスは不都合なものです。自分に都合のいいものだけを見たり、先入観を排除できなかったりします。なるたけ公正公平にものを見ようと思っても難しい。

「それがあるから生きていけるんだろう?」と積極的に肯定する人もいれば「なくせないから、ある前提で考えよう」という意見もあり「いや、私は公平である」と認めない方もいるでしょう。

私見では、多分私たちは全員バイアスにかかっている、と思います。

 

一方で、 

人間は多かれ少なかれ、意識的であれ無意識であれ、帰納法的な行動をしていると思われます。

多くの事例から不変的な法則を見出そうとするのですね。 

ton96o.hatenablog.com

 

ton96o.hatenablog.com

 

帰納法とロジックツリーと演繹に関しての話はこの辺りに書きました。

 

多くの事例を経て、自分なりの法則を見出し、その法則に則って新しいことにチャレンジする。これが一般的な流れです。

例えば、大学生になり一人暮らしを始めた人が自炊を始め、経験を積んで料理はこんな要領で作ればいいとつかみ、新しい料理にもそれを適用し挑戦できる。その法則が良いものであれば挑戦してもいい結果が期待できる。

さらに、自炊で得た教訓・法則を抽象化することができれば、他のものにも応用ができ、その教訓・法則が良いものであれば別の何かに対してもいい結果が期待できる。という入れ子構造になっています。(自炊から他の家事に応用し、一人で生活する事に応用し、自立して生活することに応用される、と。)

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ですが、人間の時間や気力には限界がありまして。一人の人間が経験できるものはあまりにも少ないのですね。

だから、人に聞いたり情報を得たりして具体例の数を多くして、帰納法で作り上げる法則を洗練させるように努めます。(洗練された法則とはより多くの事例に当てはまる法則です。10の事例にしか当てはまらない法則よりも10000の事例に当てはまる法則の方がよさそうです。)

 

特にこの「他人の知見から学ぶ」時に「人にはバイアスがある」という教訓を生かさなくてはならないと思うのです。

 

一億総白痴化と言われて60年たつそうです。

ネットを使っていれば情報強者ではなく、誰かに操られていれば、例えばインフルエンサーが、昨日右だと言えば自分も右だと思い、今日になって左だと言えば自分も左だと思う、そういう状況であれば情報弱者なんじゃないかなぁと思うのです。

バイアスにかかっているというか、なんというか。TV番組に踊らされているのと何ら変わりないですよね?

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最近、最大のバイアスは「私は自分で考えていると勘違いしている事」ではないかと思っています。

 

ではでは。

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