アカウンタビリティとは違います。説明の責任があることではなく「説明ができること」とはどういうことかについて書きます。
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分かってる人もわかっていない人も「大事なことは数字や言葉以外のところにある」と言います。
それは一面の真実です。
何かわからないものがある時、全体の中から客観的に理解できる数字や言葉として除外した残りをどうとらえるかが、その「何かわからないもの」をわかるようになるためのカギになるからです。
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では、何もかも説明できるようになるのかというとなかなか難しいもので。
例えば、今日の株価の動きについて、重大ニュースと絡めてニュースキャスターは解説をしてくれます。ですが、これってある意味簡単なお仕事なのです。上がるはずだったのに上がらなければ「織り込み済みでした」といい、上がれば「重大ニュースの影響です」と言えばよい。様式美というか、なんというか。
では過去のものであればいくらでも説明ができるかというとそうでもなく。
例えば歴史関係の話ですと、それは資料が残っていないことも大いに関係ありますが、本当はどうだったのかなんて当事者にしかわからないのです。歴史になるくらいですから国の大事です。真実は表ざたにならなくてもいいのかもしれません。実際はどうであろうと、それを聞いた人が納得するストーリーを語ることができればそれでいいのかもしれません。
つまり、過去のものですら、我々はどういう仕組みで動いたのかを知っているといえる範囲はとてつもなく狭いのですね。
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それが未来のことになると説明できることはさらに少なくなります。
例えば経営者が「これで行くぞ」と方針を打ち出しても、それに疑念を抱く従業員は少なからずいることがあるでしょう。それがドラスティックなモノであれば退職する人も出るかもしれません。ライバルから「無茶苦茶だ」と思われるかもしれません。
ですが、だからこそ意味があります。
普通の人が聞いて納得できる戦略はマネできる可能性が高いものです。良い戦略かというと、どうなんでしょうね?と。
良い戦略とは、説明できないエッセンスを含んでいるようなのです。
(だから経営学ではリーダーシップ論などが研究されているのかもしれません。この文脈でいえば、とにかくリーダーの言う事に従わせる手法となってしまいますが)
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外取をやれる人がどのくらいいるのかと実際にやる人がどのくらいいるのかと。最近ではおいしい仕事でもなくなってきたと聞きます。どこまでCGに寄与できるのかは定量的に測定しずらく、
— ton960 (@ton960) 2020年12月5日
社外取締役、3分の1以上に 「新1部」企業統治指針: 日本経済新聞 https://t.co/ZPoDW0pmnr
(できればこのスレッドをご覧いただきたく)
ESG投資と言うものが流行っています。
私自身は疑念を持っていますが、主に「E」の観点からは一時的に流行るのかもしれません。脱炭素社会的なEV的な観点から注目を浴びる技術はありそうです。
しかし、ESGというからには「S」も「G」も考慮されてしかるべきです。
特に「G」は判断が難しいはずです。
何をもって企業統治が行き届いているのかを判断できないと私は考えるからです。
私が外部取締役として経営者をなだめる職務を得たとします。
その時、説明されないものに対して「OK」ということは難しいと感じます。
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「大事なことは数字や言葉以外のところにある」というよりも「大事なことは数字や言葉以外のところから生まれる」のかもしれません。
ではでは。
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