コップに水が半分入っています、どのように表現しますか?
そう問われてあなたは何と答えるでしょうか?
おそらくですが、大半の人が、タイトルのように、「まだ水が半分もある」と答えるのではないかと思うのです。
・・・。
本当にそう思ってます?
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私は、人間は見栄を張る生き物だと思っていますし、それが悪い事だとはあまり思っていません。限度をわきまえていれば、それは他人への配慮ですしマナーにつながる思想だからです。
その、見栄を張るという気持ちが相手に対してのものか自分に対してのものかが重要な意味を持つと考えます。
自分に向かえば他人に対するマウントであるし、相手に向かえばマナーであり気遣いである、と。
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冒頭のやり取り、大半の人が「まだ水が半分もある」と答えるであろう、というのは私の世の中の見方がいささかペシミスティックで人間を利己的なものだと考えている端的な例だと自身で考えています。
そう答えると、人はポジティブな人間であると評価されるのだそうです。
人間は「ネガティブと言われるよりはポジティブと評価してほしい」と思うのですね。
という事は、この質問に対する「模範解答」は「まだ水が半分もある」です。
その「模範解答」を知っているので、自分をポジティブだとプランディングさせたい人は、そう答えるのだと思うのです。
なんという茶番。
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そもそもがこの質問と答えが手あかのついたやり取りです。社会人で知らないという人の方が珍しいのではないでしょうか?であれば、心理学のテストや相手の潜在意識(?)を正確に知るテストとしては不十分です。模範解答があるのですから。
むしろ、この問いは「こういう風に聞かれたら模範解答を言えますか?」という一般常識的の程度を測る質問であり、カラクリを承知の上で「あなたはどう思われたいですか?」という質問だと思えるのです。
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水自体は価値があるものです。
なので、場面によって希少性が変わればその価値も変わります。
現在の日本で、「また水道をひねればいくらでも出てくる。水道代なんて安いもんだ」という状況では「まだ半分ある」と答える人であっても、砂漠のど真ん中でもう八時間も水分補給をしていない状況で同じことを言えるでしょうか?
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いささか、意地悪な書き方でしたね?
問いを変えてみましょう。
「現在の地球には森林がこれだけあります。あなたはどう思いますか?」
「現在の地球にはまだ二酸化炭素がこれだけしかありません。あなたはどう思いますか?」
多分、限りある資源を大切にしたい心ある人は、自分をそうブランディングしたので「もう、これだけしかない!」「これだけ!?二酸化炭素は増え続けているんですよ!!」と答えるのだと思います。
地球表面積:510,100,000 km²。森林面積;約40.3億ヘクタール。全陸地面積の約31%。
空気の組成は、約78%が窒素(N2)、約21%が酸素(O2)、1%がそのほかの二酸化炭素(CO2)やアルゴン(Ar)など。
「もう、ない」と考える資源は全体の30%であったり、「増え続けているはずの悪者は」1%に満たなかったり。(もちろんこの換算が議論の文脈から外れていることは自覚しています。この正確な比率を認識している人はどれだけいるでしょうか?)
一方、コップ半分が大体150cc。一日に望ましい水の摂取量は約1.5L(300mLのペットボトルで5本分)。「まだある」はずのコップ半分の水は、一日水分を取らなければ重篤な状況に陥る人間が摂取すべき水分量の10%。
「まだある」といえるのは補給がすぐにできることを前提としていますよね?
その、「飲める真水」の割合はどのくらいでしょう?
約14億km3とされる水によって表面の70%が覆われています。そのうち、97.5%は塩水で、淡水は残りの2.5%にすぎません。しかも、淡水のおおよそ70%が氷河・氷山として固定されており、残りの30%のほとんどは土中の水分あるいは地下深くの帯水層の地下水となっています。そのため、人間が利用しやすい河川や湖沼に存在する地表水は淡水のうち約0.4%です。これは、地球上のすべての水のわずか0.01%
0.01%の状況を前提にしているというのは、普通の感覚であり仕方ないとしても、いささか傲慢でしょう。それだけ人間が快適な場所に居住し移動範囲が狭いことを表しているとも思いますが。
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「まだコップに水が半分も入っている」と答える人の中で、本当にそう考えている人の割合は、案外少ないのではないかと思うのです。
「大事にしておかなくちゃいけないと思う、けど、ネガティブだと取られたくないから、まだある、と答える」そんな人は案外多いのではないか?と思うのですね。
私が昔お付き合いをしていた人は、一緒に楽しい時間を過ごそうというのではなく自分が楽しい時間を過ごしたいという人でした。時間に関してルーズな人で今までのんびり過ごしてきた人なのでしょう、自分勝手に自分が満足するように過ごす人でした。
そういう人と長く一緒にいる義理もなく、お別れの際に冒頭の話を出されました。「私はコップに水がまだ半分あるという人と一緒にいたい」という趣旨の話をしたような。
これは、「自分はアクセクせずゆったり過ごすポジティブな人間だ」というブランディングだと考えます。一方で私は「限られた貴重な資源である時間をガツガツ効率的にとまではいかずとも無駄にはしたくない」のです。
時間は限りある資源でしょうか?蛇口をひねれば出てくる程度のものでしょうか?
その認識の違いがこの価値観の違いに現れるのだと考えます。
(なお、相手方の評価は私の一方的なものですし、過去の事なので事実誤認があるかもしれません。文脈に沿った具体例でありフィクションに近いものとご理解ください)
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だから私は、コップに水が半分入っている話で相手をポジティブか否かを評価できないと考えます。(ポジティブなのは困難にぶつかっても対処法を考えて実行している人だと思います)
この話で評価できるのは、一般的な受け答えができるかどうか、や、対象となる資源の希少性をどのように認識しているか、だと考えます。
私は、資源をぞんざいに扱うことがポジティブだとは思えないんですよね。
ではでは。
?