かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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ESGを数値化することについて(013)~ESG統一基準を作成した場合に起こりうる功罪~

このカテゴリ「ESGの数値化」では、漠として判然としない、良く言えば「ふんわり」悪く言えば「ぼんやり」したESGという概念をどうにかして数値化できないか?という試みの記録です。進め方としては、なるべく漏れがないように演繹的に行い理想論で進め、まずは自分の考えを現在の知見でまとめつつ仮説を立て、文献などを調べて仮説を検証しつつ現実に合わせる、という流れで行っています。

 

ここ数日はESGと類似概念が複数あることから、それらを紹介しつつ整理し私の考えを記録していたのですが、先日のCSRをテーマにした記事において、

ton96o.hatenablog.com

私がここまで提唱しているESGスコアでは、ESGの構成要素とされるものを和集合で集め、透明性をもって、しかし経済的に測定し、重みづけは利用者の判断に任せるというものでした。そうすることで、利用者がそれぞれの格付け機関のESG像を理解するのではなく、利用者のESG像をESGスコアからランキングをつけられる、という話になります。

私は統一基準を作ること自体がナンセンスだと思います。

と書きました。

実はこの見解は第一回目の記事から出している見解です。

ton96o.hatenablog.com

・総合的な判断は利用者に任せるのが良いと信じる。格付けを出すのではなく、どういう観点の情報をどういうプロセスで評価して何点と算出したかを明らかにする。その個別観点別の数値を提供してESG評価の数値化とする

こちらですね。

 

今日はこの辺りの話を改めて書いておきたいと思います。

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話を厳密に進めるには定義づけが必要です。これは学術論文ではありませんが、特にふざけてるわけでもポエムを書いているわけでもありませんし、普段の世間話のように定義づけすることが違和感を生じさせるような記事でもありません。

ton96o.hatenablog.com

なので、まずは「ESG統一基準」とはどういうものを言っているのかを定義とまではいかなくても私と読む手の齟齬をなくすよう書いておきたいと思います。

 

抽象的に書けば、構成要素とその測定方法を画一化し、必要に応じて合格ラインを定めた基準、です。

具体的に言えば、この企業はEが何点、Sが何点、Gが何点、よってESGの観点で合格。その結果をもって機関投資家がネガティブスクリーンなどに利用する、というイメージです。

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確かに、基準を作ると良さそうなことはたくさんあります。

一つは比較可能性が高まることです。どこの格付け会社が行っても同じ結果になるかもしれませんし、少なくとも同じ格付け会社が行うのであればA社とB社は同じ基準で比べられるでしょう。

一つは利用しやすい事です。資料が渡され、A社合格、B社不合格という具合にリストが並んでいると非常にわかりやすい。

 

では、都合の悪い事は何でしょう?

一つは、基準を使う格付け会社などの主体が複数あれば、その調整が必要となる事です。例えば「ネットノンカーボン」という観点の重要度を変えようとしたとして、それに同意するか、変更先の比率に同意するかという調整が必要になるでしょう。それは話し合いで民主的にという道もあるでしょうが、「あれも取り入れこれも取り入れた」調整の産物は多くの場合、傑作を作り出すのではなく帯にもタスキにも使えない中途半端なものを作り出すようです。成果物がそうなるだけでなく、おそらく調整には多大なコストが発生するはずです。ESGスコアで私がイメージしているのは、ここでいう「ネットノンカーボン」の比率は利用者が自由に決定する、そのための材料を提供するという事ですので、調整のコストをそのまま調査やその透明性の確保と報告に充てることができます。「各企業で基準を作れば調整コストは少ないでしょ」という方がおられるかもしれませんが、それだと統一基準を作る意味がありませんし、企業内でも調整は必要です。

一つは、政治(力)が介入しやすい事です。上記の調整と重複する部分はあるのですが、ややニュアンスが異なります。基準の策定が合格ラインを決めることを包含するのであれば、ギリギリラインにいる企業は格付け会社に何らかの工作やロビイ活動をすると考えて差し支えないでしょう。そんな裏工作などしないと決めつけるのは楽観的に過ぎます。そうなると基準作りに力を持つ団体または個人がネックとなり、攻撃対象なり贈賄などの対象となることは十分考えられます。権力は腐敗するのです。私がイメージしているESGスコアでは、合格ラインを決めるのはそれぞれの利用者です。各被調査対象の企業は自分たちが合格当落線上にいるかどうかすら知らされることはありません。工作する相手がわからないのです。その為ESGスコアは利用者に対し合格ラインの透明性を保証できます。合格ラインを提供しないのですから透明も何もないのです。

冒頭にも書きました。先日の記事の引用をここで再び記載します。

利用者がそれぞれの格付け機関のESG像を理解するのではなく、利用者のESG像をESGスコアからランキングをつけられる

そして

むしろ利用者が確固たるESG像を固める方が重要

そうなのです。私がイメージするESGスコアはランキングでなく、ただの種々の観点からの客観的な数字の提供であるがゆえに、利用者は利用しづらいのです。何を重要視するのかを自分で考えそれに自分で責任を負わなければいけないからです。

これは「利用する人って格付けをそのまま鵜呑みにしてるよね」という私の皮肉でもあります。実際そうではないでしょうか?日本国債の格付けが落ちたという場合、どういう観点から何が原因で落ちたのか?という事まで疑問をもって調べられるだけ調べるという人がどれだけいるでしょう?(実際は格付けの公正を期すため、観点などの内容は秘匿されるでしょう。それがクリアになっていると対策ができてしまうからです)むしろ、ビジネス上の雑談のネタに、何から何に格付けが変わったかという具合に、情報を使っているようで情報に使われている人が多いと感じます。

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というわけで

・基準を作成・変更する場合の交渉コストを、そのまま測定・透明性の確保に回すことができる

・合格ラインを決めるわけではないので、腐敗する権力がそもそも存在しない。なので透明性を確保できる

 

透明性なのですが、測定に関してはいろいろと問題が残るかと思います。測定(調査)する側とされる側で人間的に感情が動く事があれば、そりゃ人間ですから多少数値が変動しても当然です。もちろんそれは無い方がいいでしょうが、ゼロは原理的に難易度とコストが現実的ではないので現実的には「誤差は利用に支障のない範囲にとどめる」ことが条件になるでしょう。

それはまたの機会という事で。

 

ではでは。

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