日本にも団体がありまして、ルール作りってのは競争力の源泉になりうるものなので日本もしたたかに介入しておかないと競争のスタートラインを後ろに設定されてしまうのですよ。
— ton (@ton960) 2021年9月24日
ESG基準づくりに関与できるか: 日本経済新聞 https://t.co/v9vt5pAWxK
ぶっちゃけ、論理はいくらでも後付けできるのです。国家が国内の産業を守るという腹をくくるのであれば出張(でば)らないといけないときだと思うのです。
— ton (@ton960) 2021年9月24日
ESG基準は要するに規制になると思われます。
日本だけが雁字搦めの規制に縛られては発展するべきも発展できんのですよ。
予定とはずれますが、今回はこちらのニュースをもって記事にしたいと思います。
ルールメイカー、ルールチェンジャーになる必要がある話です。
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バサロ泳法という泳ぎ方をご存じの方はいらっしゃるでしょうか?
リレーエッセイ 笠原光祐(いずみ委員・千葉大学) |読書のいずみ |全国大学生活協同組合連合会(全国大学生協連)
この方は関係なく、リンク先として相応しくないかもしれませんが、良い事を書いてあったのでリンクいたします。
バサロ泳法とは背泳ぎにおいては水中で仰向けのままドルフィンキックで進む方法のことです。鈴木選手はオリンピックの決勝の100メートル背泳ぎにてなんと30メートルもの距離をこのバサロ泳法で泳いだのです。~中略~実はこのバサロ泳法、体力を大幅に消耗する代わりに普通に水面に浮上して泳ぐよりも速く泳ぐことができるのです。~中略~彼は一か八かの大勝負に挑み、見事優勝したというわけです。~中略~しかし残念なことに、バサロ泳法の大流行もあり、その大会直後に背泳ぎにおけるバサロ泳法の距離は最大10メートルまでに制限されることになりました。逆に言えば、鈴木選手はルールを変えるほどの力を持っていたということです。
(中略は私による加工)
最近だとレーザーレーサーというのが好例です。
“高速水着”とは何なのか?=競泳用水着に起こった革新的開発 - スポーツナビ
この辺りを突き詰めると、パラリンピックに出場する方の義足などの補助器具はどこまでが認められるのか等、サイバネティックでエシカルな私好みの議論に発展しそうです。
が、本文で言いたいのはそういう事ではないのです。ルール・基準は誰によってどのように決まるか、です。
もう一つ、事例。
Welcome to Marty's Ballpark! | 記事の紹介
取り上げるのに非常に良い記事だと思われます。一つはスキージャンプにおいて日本人選手が長いスキー板を駆使し好成績を出したと思われる直後、ルールの改定が行われたこと。もう一つは、こちらの記事の筆者はそれは俗説であり、以前から懸念されていた安全性への対策であるということ。
ふむ。
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私は日本人なので、バサロが禁止されたのもスキーの長さが制限されたのも「日本人いじめ」なのかなぁ?と思うのですよ。
ですが、世界は「背泳ぎでずっと潜水なんておかしいだろ?」とか「安全性の問題である」という理屈を根拠に制限が通ったのです。
無理が通れば道理が引っ込む、とまでは思わないものの、なんだか釈然としないモヤモヤ感をぬぐう事はできません。
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で、冒頭の話です。
IFRSというのは会計基準です。ざっくり、「国ごとでマチマチの会計基準を世界標準でまとめよう」という試みの事だと理解していただければと思います。
いいんじゃないですかね?統一されたほうがわかりやすいでしょう。外国に投資をしようとした時、まったく独自の会計基準を使われていたら、投資家はそちらの理解から入らなければならないので投資資金はその国その企業に行き渡り辛くなるでしょう。
じゃぁ、問題は無いのかというと、基準の決め方による、と私は考えます。
ルールは力です。
だから、ルールを作る人は自分たちが有利になるルールを作りがちだと思うのです。絶対にそうだとは思いません。そこまでは言いませんが絶対的な客観性の確保は難しいと思います。
ESGの基準を作るとして、おそらくEの部分それもネットゼロカーボンに関連した規制が強く打ち出されると思われます。昔から高いハードルを掲げ律義にクリアした国と、発展途上国という言い訳を胸に二酸化炭素排出を関係なく産業を発展させてきた国、どちらが豊かになったのでしょうか?精神的な豊かさというのはこの場合当てはまりませんし、貧すれば鈍するし、衣食足りて礼節を知るのです。ビジネスをやりづらくしてどうしますか?
だから、ESGに限らず、ルールと言われるものに日本は首を突っ込む、できれば日本が主導してルールを作る側に回るという意気込みがないと、自主独立した国家として何かが欠けていると思うのですよ。
ではでは。
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