DAOに対する考察
分散と気軽に言われていますが、それを担う個には相当な能力と負荷が予想されます
— ton (@ton960) 2024年7月15日
だから、分散を現実的に考え実行できる人は少なくともその分野または複数分野の専門家だけです
しかし、その場における判断を含む処理をAIに置き換えればおおよその解決に近づくと思われます
ネックになるとすればインフラの整備・維持とエネルギーの供給、外部環境変化への対応でしょうか
— ton (@ton960) 2024年7月15日
AIの発展に伴い、分散された群が提供できる価値は、何かに特化した専門的なものから複数分野へ、さらには汎用的なものになる可能性があります
最初は何かテーマに沿ったDAOなのだと思います。
そこから各個の多分野への進出やメンバーの拡充によって、その集団自体ができることが増えていくという流れを想定しています。
また、あくまで「群」であり「個の集まり」という点は重要だと考えます。
それがあるからこそ入退室自由という原則が守られます。
一方で、長期的な関係を保つことによりリスクを低減させるという観点から言うと、入退室自由という原則は考え物ではあります。
例えば、日本の会社では退職金制度をもって秩序を維持していますね。
一方で、そもそもの思想の根底に私は不安を抱きます
— ton (@ton960) 2024年7月15日
それは、この思想自体が、分散を考えることができ何らかの専門家である強者だという点です
もちろん強者がそうでない人の事を考えないなんて私は思っていませんし、ゼロにはできなくても毎回の改善で少しでも多く人を取りこぼさないようにできると
ですが、やはり、ゼロにはできません
— ton (@ton960) 2024年7月15日
最後に残るのは声を上げる事すら、いや、「自分の求めていることが何かすらわからず言葉にできない者」のはずです
思想を考えられる人が考えた思想には、その環境下で取りこぼされる人が必ず存在するのです
こちらは、構造的な問題だと思われます。残念ですが人間に様々な限界がある以上、避けられません。
下記も置いておきます
光の当たらないところに光を当てる政治であって欲しい
— ton (@ton960) 2024年7月22日
という趣旨のポストを拝見して
全くそれはその通りなので賛成ですが
以前ポストした通り、そもそも「光が当たってない所がある」とすら認識されない部分がある点がもっとも問題だと考えます
そういう部分は、冒頭のような優しい言葉においてすら俎上にあがらないのだろうと、少し残念で
— ton (@ton960) 2024年7月22日
上記で話題に出した言葉は、優しい気持ちから現れた言葉なのだと推察します。
(自分のイメージアップを狙っている可能性を否定はしません)
ですが、だからこそ、優しい気持でもくみ取り切れない、「認知できないものがあるはず」だと考えます。
DAOを設計し考えられるのは、強者であり、その思想は強者の発想です。
ではでは
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