私の結論。無理です。
人間社会においてその構成員が納得できる責任をとる能力がないのなら、他の能力があったとしても構成員と同様に扱い得ないのではないだろうか?
— ton (@ton960) 2024年7月11日
自意識を持っているのか?という点と、持つべきかという点
さらに重要な点として、所有を元に作成されたものが、その意図を脱却して制御不能になる点
機械がどう責任を取るのかという点
— ton (@ton960) 2024年7月11日
特に自動運転の分野では議論が盛んです
私は現在の司法全てには納得していませんが、人間同士であれば金銭と懲役などで決着をつけます
そのまま機械に適応させるのであれば機械が財産を所有し自由である必要があります
良いか悪いか以前、責任を取る前提の話です
経済動物や展示動物
— ton (@ton960) 2024年7月11日
環境エンリッチメントと後ろめたさ、贖罪
クローン羊のドリーと腎臓移植のために生み出された豚や実験用動物など
こちらは散発的に単語を並べています。
経済動物というのは肉牛などです。殺して食べるために生かす動物です。
彼らは賢いし意識があります。しかし自立する権利はありません。人間の所有物です。
動物園の動物に対して、例えばトラなど、動物園の環境は自然の環境とあまりにも違いすぎるため、DNAが混乱するのでしょう。可哀そうに、ノイローゼになってしまう事があるそうです。それを解決しなるべく自然に近づけようという試みが環境エンリッチメントです。
私はそれを、人間が生活に余裕があるからであり、後ろめたさの食材だと考えています。
クローン羊はかなり昔に実用化されました。ドリーと名付けられたクローンとして生まれた羊は、残念ながらすぐになくなりましたが、新しい技術の可能性を人類に突きつけました。これにより、理論的には優良な遺伝子を残すなど、様々な応用が可能です。
しかし、今だに広く使われてはいません。特に人間には。
クローン人間に、人権はあります?自律させるべきだと思います?
例えば、誰か金持ちのクローンが、SF映画に出てくるような、臓器移植の貯蔵庫としての役割の為だけに生まれる存在は許容されるべきでしょうか?
「そういう事もあるよね~」と許容するだけが大人の態度ではありません。
理論的に可能な事と社会的にやっていい事は別なのです。
とはいえ、同様に巨人の肩からものを見つめている同士の異同を精査し人間とAIの境界点を探るアプローチは興味深く
— ton (@ton960) 2024年7月11日
さらにAGI・ASI誕生の後、今でさえ持てあましている人間がAIの主人足り得るのかという疑問さえ生まれるのも事実ではありますhttps://t.co/ipuMmZ0rAr
私はまだASIというものを理解していませんが、とりあえず包含させました。
巨人の肩からものを見る目ている同士、というのは人間とAIの同じ性質を指します。
また、人間も偏見のコレクションを土台としたデータセットの塊であるという見方もできるでしょう
— ton (@ton960) 2024年7月11日
実際語学では、単純な会話では思考よりむしろ反射だという、まさにAIが行っているアプローチを人間も取っているという研究があったはずです
瞬間英作文が好例でしょうかhttps://t.co/8ZCnCHDyaq
とはいえ、道具は、そう設計されているのだからそのように使われて然るべきだと考えます
— ton (@ton960) 2024年7月11日
人間より優れているかどうか、実利的な能力を持つか否かは論点ではないのですねhttps://t.co/0T3OEhyxz1
倫理的・道徳的な観点から、能力がある主体に対しての所有が奴隷制度などを連想させるものだと感じるのは、まったくもって正しいでしょう
— ton (@ton960) 2024年7月11日
しかしそれを理由に設計や目的に無いものを土台部分に加えるのは制御不可能性を高めます
原子力発電所などが好例です
不確実性をゼロにはできないのに使ってるじゃないか、AIも独立だ、という点を重視するならそれもまた一つのアプローチです
— ton (@ton960) 2024年7月11日
ですが、私は、倫理的道徳的な決着がついてからAIの独立を認めるべきだと考えます
それはAIが人間社会でどうやって責任を取るのかという問題に決着がついた時です
こちら、倫理的道徳的な決着がつけば、同時に、AIが人間社会でどうやって責任を取るのかという問題に決着がつく、と私は考えています。逆はあり得ません。他にも問題はありそうだからです。
今後、無機質なプロンプト入力画面とのチャットだけでなく、アバターやそれこそロボットやぬいぐるみという「ガワ」が生まれるでしょう
— ton (@ton960) 2024年7月11日
それこそ「ドラえもん」を想像していただければいい
四次元ポケットは持っていないけれど、人間より賢いドラえもんが現実化した時、それをどう処遇すべきか
私の意見はもちろん変わりませんが、私と意見が同じだった人も、人によっては「ドラえもん」の見せる表情や感情のようなものに感情が揺らぎ意見を買えるかもしれませんね
— ton (@ton960) 2024年7月11日
それが世論だというならそれも良いのかもしれません
長年、ドラえもんと連れ添ったのび太君に、「ドラえもんは機械だから人権はないんだ」という事は残酷です。おそらく同意も納得も得られないでしょう。
そして、社会の状況においては、そう扱う事が絶対的な悪とみなされる事も考えておくべきです。
フリーレンというアニメだかマンガだかで、敵がいるんですね
— ton (@ton960) 2024年7月11日
その敵は人間の言葉を話しますが、それは人間を油断させたり躊躇させたりするために使うんです
「ガワ」に包まれれば、表情がつけば、AIが検知を獲得しようと人間を騙そうとしている、と言いたいわけではありません
フリーレンに出てくる敵=ここで言うAI、比喩です。
つまり、人間の言葉を話すから、人間と意思疎通ができているように見えるから、その本質は人間と近しい存在とみなす、という事は危険な事なのだ、という主張です
ここで言いたいのは、われわれ人間は、表面的なものに感情を揺るがされやすいという事です
— ton (@ton960) 2024年7月11日
機械は機械です
人間社会の一員になるように設計されていませんし、現在そのように使っていないでしょう?
そこに「ガワ」がついたら権利を与えたくなるのだとしたら、一回落ち着いた方が良いように思います
人間は、自発的に、騙されるんです。
メラビアンの法則でありルッキズム的な話です。そういう本能です。
実質は変わらないのに外見が変われば扱いが変わる。恋愛マンガでよく見ますね。
冴えない主人公がちょっと小奇麗にすれば一気にモテる。
主人公、居心地は良いのでしょうか?それとも胸のすく思いでしょうか?
爽快感はあっても、何か黒いでしょう。
機械の見た目が変わるだけで、その扱いを変えようと気持ちが変化するなら
私たちは、恋愛マンガに出てくる、その他大勢の中身を見ることができない奴らと同じなんです。
無骨な工業用ロボットに権利はないが、可愛くて愛らしいドラえもんには権利を与えたくなるのだとしたら、、、、、
— ton (@ton960) 2024年7月11日
うーん
無骨な工業用ロボットだって、大切に扱えば付喪神(つくもがみ)になってくれるかもしれませんよ
— ton (@ton960) 2024年7月11日
と、ロマンチックな事も書いてみます
可愛くなくなって、大事に扱う事もあるでしょう。
自分とそれとの関係だけなら、それで結構。
AIに社会の一員・構成員としての自立を認めるなら、決定的な「人間社会で責任を取る」という点が不足している、というのが現在の私の見解です。
ではでは
?