かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

?

AIは自立できるか?

私の結論。無理です。

こちらは散発的に単語を並べています。
経済動物というのは肉牛などです。殺して食べるために生かす動物です。
彼らは賢いし意識があります。しかし自立する権利はありません。人間の所有物です。
動物園の動物に対して、例えばトラなど、動物園の環境は自然の環境とあまりにも違いすぎるため、DNAが混乱するのでしょう。可哀そうに、ノイローゼになってしまう事があるそうです。それを解決しなるべく自然に近づけようという試みが環境エンリッチメントです。
私はそれを、人間が生活に余裕があるからであり、後ろめたさの食材だと考えています。
クローン羊はかなり昔に実用化されました。ドリーと名付けられたクローンとして生まれた羊は、残念ながらすぐになくなりましたが、新しい技術の可能性を人類に突きつけました。これにより、理論的には優良な遺伝子を残すなど、様々な応用が可能です。
しかし、今だに広く使われてはいません。特に人間には。

クローン人間に、人権はあります?自律させるべきだと思います?
例えば、誰か金持ちのクローンが、SF映画に出てくるような、臓器移植の貯蔵庫としての役割の為だけに生まれる存在は許容されるべきでしょうか?
「そういう事もあるよね~」と許容するだけが大人の態度ではありません。
理論的に可能な事と社会的にやっていい事は別なのです。

私はまだASIというものを理解していませんが、とりあえず包含させました。
巨人の肩からものを見る目ている同士、というのは人間とAIの同じ性質を指します。

こちら、倫理的道徳的な決着がつけば、同時に、AIが人間社会でどうやって責任を取るのかという問題に決着がつく、と私は考えています。逆はあり得ません。他にも問題はありそうだからです。

長年、ドラえもんと連れ添ったのび太君に、「ドラえもんは機械だから人権はないんだ」という事は残酷です。おそらく同意も納得も得られないでしょう。
そして、社会の状況においては、そう扱う事が絶対的な悪とみなされる事も考えておくべきです。

フリーレンに出てくる敵=ここで言うAI、比喩です。
つまり、人間の言葉を話すから、人間と意思疎通ができているように見えるから、その本質は人間と近しい存在とみなす、という事は危険な事なのだ、という主張です

人間は、自発的に、騙されるんです。
メラビアンの法則でありルッキズム的な話です。そういう本能です。

実質は変わらないのに外見が変われば扱いが変わる。恋愛マンガでよく見ますね。
冴えない主人公がちょっと小奇麗にすれば一気にモテる。
主人公、居心地は良いのでしょうか?それとも胸のすく思いでしょうか?
爽快感はあっても、何か黒いでしょう。

機械の見た目が変わるだけで、その扱いを変えようと気持ちが変化するなら
私たちは、恋愛マンガに出てくる、その他大勢の中身を見ることができない奴らと同じなんです。

可愛くなくなって、大事に扱う事もあるでしょう。
自分とそれとの関係だけなら、それで結構。
AIに社会の一員・構成員としての自立を認めるなら、決定的な「人間社会で責任を取る」という点が不足している、というのが現在の私の見解です。

 

ではでは

 

?