かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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情報の価値を決める情報

私たちが普段、情報を意味と価値があるものと認識している状況には仕掛けがあります。
例えば、同じことを言っても、昼間から公園でビールを飲んでいるオッサンがホザくのと、スーツをバシッと着た複数の上場企業を経営した上でMBAコースの客員研究員までこなしているオジサマが仰るのとでは、相手に与える印象は大きく違います。

その印象によって、情報の意味と価値は大きく変わるのですね。

だから、私たちが「外見ではなく中身を見ろ!」と言ったって「メラビアンの法則としか知ってるんでしょ?だったら外見の重要性を知ってるよね?中身を見てもらえる外見にしなよ」と言われても、「ムググ」と、黙るほかないのです。

この外見が上記ポストで言う所の「付加情報」であり、その必要性と機能は上述した通りです。
良い付加情報だけにつられて、情報を過大評価する人がいることは事実です。
なので、それを隠蔽することで、情報そのものの価値を評価できるという状況になりますが、そうすべきか?という論点は別問題です。概ね良い情報を発信する人は、良い付加情報を持ち合わせているからです。

そして、付加情報はどうあれ、現在では情報が溢れています。
現在我々がすぐに入手できる情報は、供給が多く価値は下落しているはずなのです。
情報から意味をくみ取る責任が受け手側にもあるのであれば、彼らは効率よく意味を見出す為付加情報を利用するでしょう。

情報よりも、むしろ、付加情報に価値があるのです。

この辺りは冒頭の話を極端にし、ロマンチックにしたものになります。
情報の価値が受け手にもある、という点と情報が溢れる状況の場合、何が起きるのかを表した例え話です。

無理数は、ランダムに無限に数字が出てきます。
バベルの図書館は、ランダムに無限に文字列が出てきます。

数字を、そうですね、二けたを一つの文字に当てはめましょうか。そうすれば無理数の中にバベルの図書館は出来上がります。バベルの図書館にはハムレットシェークスピア村上春樹だって載っています。本能寺の変の真相だって載っています。
無限の文字列ですから。

ただし、それには強力な前提条件をクリアせねばなりません。
有効桁数が無限という点です。

それは、まぁその。なんというか、ねぇ?不可能と言い切りはしませんが、現実的ではありません。無限であることをベースに何らかの意思決定をする人は、なかなか巷でお目にかかれない。

無限は近く(π)に必要なんですけれど、遠くにあるものなんですね。
無限は近くにあれば何もかも手に入りそうですが、遠くにあるものなんですね。

----------------(‘ω’ っ )

同様に、無茶苦茶な前提をクリアすれば、過去を見ることができるというタイムマシンも実現できます。
300光年先の天体から300光年離れた地球を観測すれば、300年前の地球のリアルが分かります。
同様に400光年先30000光年先に行けば、400年前3万年前の地球のリアルを観測できます。

----------------(‘ω’ っ )

以上のように、情報それ自体に価値を見出す為には(=情報の価値判断を受け手に委ねる為には)おそらく、無茶苦茶な前提条件を実現せねばなりません。
それは現実的ではありません。

付加情報が情報を支えるというより、情報そのものに価値を与えるというのは、実に逆説的な真実のようです。

ではでは。

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