CC事件に関連したお話です。
よく「自由になりたい」と聞きます。
自由になることの本質はどこにあるのでしょうか?
私は、自己責任を受容する事で得られる、選択肢の広がりだと思います。
自己責任があって、自由が得られると思うのです。
ピアスをつけて金髪でビジネスをするのも自由。それでビジネスがうまくいってもいかなくても誰にも文句を言えない。
取引所に大量の資産を置くのも自由、それで取引所がハクられても、、、文句はいうでしょうが、、、最後は自己責任。
今回NEM財団はお金に対しタグ(印、しるしです。お札にマークを書いたと想像してください)をつけ、ハクられたNEMの動きを追跡できるようにしました。
素晴らしい、ありがたいことです。
以上のことから考えたのは
・NEM財団にとって、トラブルを迅速に処理したという実績を作ることができた。
・記事にもある通り、CC事件の重要論点は二つ「投資家の資金返還」「ハクられたNEMの行方」である。前者は落としどころが見つかりそうだが後者はこれから。その解決への橋頭保をNEM財団が作った。
・一般の利用者は仮想通貨を通じて、開発者から自由になれない。
しかし
・仮想通貨利用者は自信が利用する仮想通貨を選択する自由がある。
仮想通貨は技術本位制だと考えています。
ゆえに開発力はそのファンダメンタル面での大きな要素です。
しかし、オープンソースであっても仮想通貨の開発に一般の利用者が口をはさむことは難しい。
ですので、やはり、主要通貨はどこまで行っても(寡占状態であっても)複数存在せざるを得ないと思います。
その状態こそが、仮想通貨それぞれを利用者の選択という市場原理にさらし、健全な競争を継続させている証拠だからです。