春の選抜高校野球が開幕しています。
私は全く見ていませんし、どこが強いのかも知りません。
つい先ほど同じマンションに住むおじいさんとお話をしたので、それについて考えたいと思います。
「あんた、さっきの○○高校の試合見たか?」
「いえ、みてないっすね」
「あー、もう、何してんの。すごかったよ。
9回裏、ツーアウトまでランナーなし。おじさん見たくないから机に突っ伏してたの」
「あー、もう、これはまける、と」
「そうそう、99.99%まけるとおもってだね、そしたらカーンッって音がして。
なんと逆転ホームランよ」
「おー、やったじゃないですか」
「そうよ、ツーアウトまでランナーなしだったからね。わしの故郷の高校なんだよ
まけるのがいやでこう、机に突っ伏してたんだよ」
「見るのが嫌ですもんね」
「そうそう、あの状況じゃぁ、だれもが、99.99%負けると思ってたよ。
こう、机に突っ伏しててね。そしたらカーンッ。ホームランだよ」
「一気に逆転、良いもの見れましたねっ」
「そうなんだよ、なんといってもね、こう、ツーアウトまでランナーがいなくてね。
ファーボールだったかな、?まぁ、ランナーがたまったんだよ。そして最後に、カーンッ、音がしてね。」
「なんとホームラン!」
「そうなんだよ!」
この後、まぁまぁ、続く。
これを、シニアの方は話がリフレインする、と笑い話にするのは簡単です。
しかし私はここに感動の発露を見るのです。
以前「ロジックツリーとMECEとあとは」という記事でMECEの概念を紹介しました。モレなく、ダブりなく行うことを意識することで、考え落としをなくした効率的な考えができるのでした。
これは、論理的に正しい方法であり、批判される要素はないように思えます。
しかし、上記のおじいさんのお話のように、人は、激しく心が動かされると、MECEを意識する事なんて無理なのです。
いえ、むしろ、論理性を重視しない、人に感動を伝えるのであればMECEでない方が自然であり、人によってはMECEでない文章を意図的に書いているとも考えられます。
皆、動揺したときや、楽しいことがあったとき、頭が冷静でなく情動が動かされた時。話がぐるぐる回ってしまったという経験はあると思います。
しかしそれはあなたが人間である証拠で、感動した証拠だと思うのです。
MECEにしきれない体験をたくさんしましょう!
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