成功しなくても企業がほかで生きていけるのであれば、成功報酬型を設定された製品は消費者に不要なリスクを背負わせることになるのでは?
— ton (@ton960) 2019年8月15日
新薬販売、成功報酬型検討 アステラスなど欧米で :日本経済新聞 https://t.co/U4PDnIUzlQ
これに関連して。
最近、投資信託でも、基準価額最高値を更新することによる成功報酬型の商品が増えています。
成果報酬型というスタイルそれ自体は、良くも悪くも中立であり、一つの形態だと思います。
使い方が問題なのですね。
今回は、成果報酬型が買い手に対し不利に働く場合の話を書きます。
買い手が、予期せぬリスクを背負う可能性があるように思うのです。
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売り手の収益を単純化して、y=ax+b、とします。
単なる一次関数です。
bが切片です。運用が成功しようが失敗しようがもらえる定額分です。
aの度合いと成功度合いを乗じた値が成功報酬分です。
bのみで運営が成り立つのであれば、運用者にとっての成功報酬分はいわばボーナスです。
これは、運用者が高い成績をもたらすインセンティブにはなります。
しかし、必ずしも、利用者・投資家と向かう先を同じにするインセンティブにはなりません。
では、運用者はこの「成功報酬分がある」という条件をどのようにとらえるのか?
「どうせ、失敗しても定額分で賄える設計なのだから、リスクを過大に取ろう」となるように思います。
換言すれば、一か八かの博打に振れやすくなるのですね。
当たれば儲け、外れても自分たちに損はないのです。
投資家にとっては「え?そんなにリスクをとるんですか?」 というリスクを取りやすくなるのですね。意図的か無意識化は別問題として。
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というわけで、成功報酬があることで投資家が期待しているよりもリスクを負う危険性が増える、という話でした。
さらに問題点です。
定額+成功報酬という仕組みの場合、定額がどの程度であれば「運用者が慎重に手堅く成功報酬を増やすようになるか」を投資家が知ることは難しいように思います。
情報の非対称性、というやつです。
一般の社会人には、それらを詳細に調べる時間はないのではないでしょうか?
そもそも開示が義務付けられるでしょうか?運用者の財務戦略的には、開示しなくてよいものは開示したくないように思うのですね。
他の運用者・ライバルに、自分のノウハウを知られたくないですよね?
投資家寄りに考えるのであれば、フルコミッションの営業を雇う経営者のように「すべて成功報酬」であると嬉しい。
しかし、それでは運用者が困る(=経営が成り立たない)(そして販売会社も困るはずだからその金融商品は売れない、だから、世の中に受け入れられない)
運用者寄りに考えるのであれば、何が起ころうが一定額もらえる状況がうれしい。
しかしそれでは投資家が困る。(運用者のインセンティブが働かないので、特にアクティブファンドにおいては基準価額を引き上げようとする動きがなされない。そうなると誰も投資しない、だから、世の中に受け入れられない)
ではどうすればいいのか?
投資信託であれば基準価額を大きくする、その方向に投資家と運用者とのベクトルが一致すべきです。
だから、現状の「一定率が報酬になる」という仕組みは、それなりに合理的です。
運用成績が悪く預かり純資産が減少すれば、報酬もそれに応じて減るからです。
何のかんので現状は落ち着くべきところに落ち着いているのだなぁ、という結論になりました。
ハイウォーターマークを利用した成功報酬も「それにより運用者が過大にリスクを取るかもしれない」という腹積もりができているのであれば、利用者にとって必ずしも悪いものでは無いように思います。
そう考えるとアクティブファンドは成功報酬があってもいいのかもしれません。
(運用者の信用もあるので、バランスが難しいところではあります)
ではでは。
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