清水義範さんをご存知の方はどのくらいいらっしゃいますでしょうか?
私はこの方の小説を、小学校六年生から高校二年生にかけて、読み漁ったといっていいほど読み漁りました。
今回は、清水義範さんの著作を紹介させていただきたく思います。
冒頭でWIKIをリンクしました。
詳しくはそちらを参照していただいた方が、詳しく正確な内容を知れるはずです。
ここからは、あえて、何も見ないで書きます。
間違えているところがあれば、それは私がおバカさんであったという事です。
小学校六年生の時に、私は塾で違う小学校の友人に本を借りました。
単位物語、という本です。
文庫本でした。
そこには清水義範と著者名が書かれてありました。
面白いよ、という言葉と共に借りて、一気に読みました。
次に借りたのがお金物語。
これも文庫本です。当時小学生の私は、近くの図書館で借りました。
ここで、原始人がお金を作り、市場経済を作り、ニセ金を作り、経済が発展し、けれども心は貧しくなって昔を懐かしむという一編があるのですが、それを読んで私はお金の一連の歴史を軽く学ぶとともに、「なぜ、原始人が自分が知ってる社会システムにのっとって発展(当時は幼かったのです、発展としか考えられませんでした)していくのを読むのは楽しいんだろう?」と考えました。
現在だと、ファンタジー小説(勇者と魔王が出てくる剣と魔法の世界の小説)では、「異世界もの」というカテゴリで分類されるのでしょうか?
そこで感じる「自分たちが見知っている文明が、異世界で便利に使われている」カタルシスを当時の私は感じ、その優越感の源泉に不思議を感じたのです。
まぁ、種を明かすまでもなく、現在の自分は今まで築き上げてきた先人の知恵に生かされている存在だということを言葉で知っているだけだったのですが。
そこからは著者の守備範囲同様、様々なジャンルを読みました。
今は有名な「山内一豊」の話も知ったのは清水義範さんの本でした。
コンピューターを利用した話を読んで感動したのも清水義範さんの本でした。
PCがまだコンピューターと呼ばれていた段階で、清水義範さんは弟さんが確かそちら関係の仕事をしていたのか、このような話題の本があったのです。
アパレル関係の会社でコンピューターを入れようと。地味な仕事のできない社員がコンピューター係になって、人には向き不向きがあるのだとわかりました。
一見仕事ができる社員が「ネクタイの長さなんて、だんだん長くなって、急に短くなってというトレンドの周期があるんだから、コンピューターに予測させたりできないの?」なんて、今からすれば「それは無理がある」と誰しもわかりますが、当時としては「海のものとも山のモノとも知れぬもの、コンピューターならできるのかもしれない」という期待がありました。SEの方がバッサリと、それはできない、と。
そこから私は新技術に対して盲目的に信じるのも、直感的に拒否するのもよくない、できる事とできない事は峻別して把握すべきである、と理解しました。
ある主婦の話。
お姑さんの体の具合が悪くなって、一生懸命介護するのですが、旦那さんには感謝されず、お姑さんには近所の人に「鬼嫁だ」と悪口をいわれる。非常に追い詰められます。
最後に、本当に最後に、姑さんが拝むのです。その主婦を。義理の娘を。神様のように。その主人公が言った言葉は(言葉にしませんでしたが)「やめてよ」でした。
人の気持ちって、伝わらないし、うまく伝えるのは難しいし、感謝しろと催促するのも違う。なんとも、まぁ、難しい物だなぁと思いました。
パスティーシュという手法だったと思います。
清水義範さんは文章の書き方を模倣するのが特徴の小説家であるという論考があったと記憶しています。(バラバラの名前、等)しかし私の個人的な感想としては、老人の話を書くのがとても上手な方だし、守備範囲が広いところが特徴だと思っています。
ハムという犬の話
私は小さいころから犬猫を飼っていませんで。親から言わせると「死んでしまうとかわいそうだから」と。今はハリネズミを飼っているのですが、当時の私からすると、このハムという犬はとても可愛らしく、賢く、とてもとてもうらやましかったのを覚えています。飼っていた犬のエッセイ(冗談含む)の話で出てきたと記憶しています。
そのエッセイの中で、確か二番目に出てきた犬。元野良犬だった飼い犬の話がありました。彼は最後まで主人公になつきません。野良犬は最後までその個を守り通した。それが何となく頭にこびりついています。
作文の添削の話
清水義範さんは作文教室をされていた時があるそうです。
確か弟さんが塾を開講しており、そこの作文教室の赤ペン先生になってくれないか、という申し出を受けたという話だったと思います。
それが一冊の本になっていました。
小学生にとって、作文は大敵です。なかなか強い中ボスですよ。
そこを清水義範さんは上手に添削しつつ赤ペン先生していきます。
一時期、学校で読書感想文がでて、皆の調子が狂うも、だんだん文章を書く楽しみが見えてくるようで、読んでいるこちらも嬉しくなってきます。
一人、今でいうリケジョ(もう古いですか?)的な生徒の話が出てきます。
彼女は題名がすべて「○○なこと」というものだったんですね。
清水義範さんは弟さんに相談します「なんでかな?」弟さんは答えます「心が発達していないんじゃないか?」これは大いに異議があることで、この話がフィクションでないのであれば、こう書かれた女児生徒は悲しむことは想像に難くありません。
その点、いまだに引っかかっています。
大好きな作家先生の紹介で、異議などは言いたくありませんが、ここだけは、です。
西原理恵子さんをご存知の方はいますか?
じつは清水義範さんは西原さんと共著を三冊(?)ほど出しておられます。
西原さんを私が知ったのは「まあじゃんほうろうき」です。
その時から、むちゃくちゃ(と思える)絵柄とストーリーで引き込まれました。
共著を見た時、まさか!と思いました。
題名は、「おもしろくても理科」。なんとも!!
理科も社会も、その次も読みました。
エントロピーは増大する。
エントロピーは乱雑さの度合いですね。ヒートデス関連から出てきた用語だったと記憶しています。この言葉を初めて覚えたのも清水義範さんの小説でした。
もちろん(?)、まじめな用語の解説ではなくて、少々茶化したような、キャッチコピーとしての面白文章でした。
ある浪人生の話。
高校生にもなると、のんびり屋の私も大学進学を意識し始めます。
そこで清水義範さんの浪人生が主人公の話を読みました。確か三部作。
今となっては、小さなことで悩んでいたものだとも思いますが、それは当時の自分の世界の小ささと、相対的な問題の大きさを忘れてしまっただけだとも言えます。
特に何を学んだとも言えませんが、学んだといえない何かを学びました。(私の文章力ではこれが限界です。そこは、雰囲気を慮っていただきたく)
いかがでしょう、清水義範さんをご存知の方はどのくらいいらっしゃいましたでしょうか?
すごく面白い文章です。今中学生の方も、小学生の方も、高校生の方も大学生以上の方も、ご興味があれば手に取っていただければと思います。
今の時代、時間が相当貴重なリソースです。
色々なサービスが奪い合っているのは結局は時間だといっていいと思います。
その中で、清水義範さんの著作なら読むべきはこれだ!と、紹介できれば一番良いのですが、私は思い入れが強すぎて、選べません。
興味をお持ちになった方は、レビューサイトを一巡りしていただきたいと思います。
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