かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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今すぐやめた方がいい考え方

年末年始でちょっとした出来事があり、メモがてら書いておきます。

今すぐやめた方がいい考え方というのは、コストを払ったからリターンがあって当然だという考え方です。

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この考え方も、この考え方はよろしくないという意見も別に目新しいものではないと思っています。

例えば残業代。同じ仕事をしている人であってもダラダラと残業をしている人の方が残業代を稼ぎ結果的に給料が多い。

こう書くと「そうだそうだ」と。「出した成果に応じたリターンが配分されてしかるべきだ」と。多くの方が賛同するでしょう。

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一方で、私が見聞きした、経験したモヤモヤを紐解いていくと、この考え方に帰着するケースが相当数あったりします。

「自分がこれだけ頭を悩ませたのだから従業員や顧客に喜んでもらえて当然だ」という経営者の方や部下を持つ管理職の方は典型例で、投資の文脈では「これだけ調査したんだから儲けがあって当然」、男女の人間関係では「これだけ相手のことを考えて想像して喜んでもらえると思って行った行動だから喜んでもらえて感謝されて当然」という感じです。

結果が伴うことにコストを払うのは仕方のないことですが、コストを払ったから結果が伴うと考えるのはおかしいでしょう。

私は、受験勉強の弊害なんていう年でもないのですし知見もないのですが、受験勉強では「結果につながる努力」がかなり明らかであったことは大きく影響しているように思います。

つまり、物事を吸収する時期に「コストを払えば結果が伴う」という経験をしたのでそれが考え方の土台となっているように見受けられるのです。

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私が言うまでもなく現実社会はそれなりに複雑です。

何が受け入れられるか何が災いを呼び込むかは、大枠では推測できてもそれを超えた出来事は無視できない程あります。

だから、コストを払った・努力した、それが必ずしも結果につながるとは言えません。

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で、私のブログ記事がこれだけで終わるはずもなく。

重要だなぁと思うのが、上記の話をほとんどの人が知っており実感しているという点です。

みんな、前述の話をすると「当たり前です」「当然です」と言うんです。

では、実際に払ったコストでリターンを期待していないか?というと、してるんです。

部下に気を遣う上司はその分部下に感謝されることを期待するし、投資により多くの金と時間を費やした人はその分多くの利益を期待するし、相手のことを思って時間と使った人は相手に感謝されると期待するんです。

多分、心理学の世界でバイアス云々という話になるのと同じで、人間の本能として何かあるんじゃないかと。調べてませんけど。

また、一つの原則が形を変えて出てくると本音が出てしまうという点もあるのかなぁ、と。

それがあるから「従業員は結果で給料が決まるべきでダラダラ仕事をして残業代を稼ぐなんてけしからん」と言っている経営者が同じ口で「私は従業員のことをこれだけ考えてやっているのだから従業員は私に感謝して然るべき」と言うんだと思うのです。

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というわけで、

コストを払ったからリターンがあって当然だという考え方は今すぐやめた方がいい。しかしそれは至難。なぜなら形を変えて出てきたときに人は本音が出てしまうし、その本音はおそらく本能と言えるような深い部分に根付いているから。

だから、意識して、払ったコストとリターンは区別すべきだし、何かの業務フロー・仕組みを策定する場合、区別して認識できる工夫が無いとモヤモヤが溜まっていくのだなぁと思います。

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尚、仮想通貨の文脈で、PoWにおける仮想通貨の価値は電気代に裏付けされているという説も同じ理屈から私は否定的です。

PoWはブロックの承認をコンピューターの演算力を使って勝ち取る耐シビル攻撃の手法です。(一般にコンセンサスアルゴリズムの一種とされますが厳密には正しくないようで。ですが世間ではコンセンサスアルゴリズムのPoWと表現した方が通りが良いようです)

演算力の創出には電気代が必要であり、効率の良い機械が必要であり、機械のメンテが必要であり…。ざっくり、コストがかかるわけです。

電気代に裏付けされているからその仮想通貨には電気代分の価値はあるという主張は、時間を使って仕事をしたから残業代を請求する人と同じに思えてなりません。

当該仮想通貨にそれだけのコストをかける価値があると期待してマイニングは行われるのです。かけたコストは期待です。仮想通貨それ自体はネットワークだという理解をしています。そのネットワークが世間に受け入れられるかどうかはかけた期待とは別問題です。なので、多くの電気代をかけたPoW仮想通貨ネットワークが世間に受け入れられず価値が0になることは考えられるわけです。

労働価値説を根拠に論を展開する場合は、それが提唱された背景を考えなくてはなりません。アダムスミスが国富論を出したのが1776年。産業革命が始まった時期と大体一致します。産業革命によって機械が広まり、Aさんが作るものもBさんが作るものも同じ品質になりました。手作業だとノウハウやコツによって成果に差が出ますが、当時の機械だと投下する労働力が成果とニアリーイコールだったのですね。

だから、当時はかけたコスト(労働時間)分のリターンを期待しても何も問題なかったのだと思います。

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今の時代、コストを払えばそれなりにリターンが期待できる分野は相当恵まれているように思います。

逆に言えば、そういう分野を見つければいい事があるかもしれません。

 

ではでは。

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