「楽しんでやれ」
という言葉を聞くことがあります。
私は、それにアレルギーが出ます。
人に「楽しめ」と指示する、ってのは何なんでしょうね?
人に言われたから楽しめる、ってのは何なんでしょうね?
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ある人が、楽しんでやる人が一番強い、という意味のことを言いました。
その通り、知ってます。が、私は「誰が言ったか」よりも「何を言ったか」を重視したいですし、先入観にとらわれず中身を検討したい派です。
話を戻します。
楽しんでる人が一番強いのだそうです。
これは、長く長ーく言い伝えられていることですので、それなりに説得力があることなのでしょう。
孔子の言葉でなくとも、ある種の真理が含まれているように感じます。
では、私自身がある種の真理を感じている「楽しんでやるものが一番強い」という言葉なのにアレルギーを感じるのはなぜか。
話がねじ曲がっているからです。
言葉自体には真理を感じますが、使われ方に問題を感じるのですね。
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孔子が言ったのは、「自発的に」楽しんでやるものが一番強い、という事だと私は理解しています。
これは、楽しいという感情が内発的なものだという理解から来ています。
感情は自分のものだと思うのです。
そうすると、どこかの誰かに「楽しみなさい」と命令されて、楽しいと思うというのはおかしな話です。
それが成り立つのであれば、命令される方は感情を支配・制御されているように思えます。
命令する誰かは、自分が「楽しみなさい」と言え(命令すれ)ば、相手が楽しんでやると誤解しているように思えます。キーキー怒鳴り散らせば、相手は自分の思い通りに動くと思っている。
だから、アレルギーが出るのです。
「俺様は偉いんだ!俺の思っていることは実現して当然なんだ!!ウキー」
だったり
「本に書いてたから」「TVでいってたから」
だったり。
萎えません?
萎えませんか、そうですか。
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「誤解じゃないか?実際に私が「楽しんでやれ」といったことで従業員は仕事に楽しみを見出すようになっている」
こういう反論もあるでしょう。
私は、実際にやる人以外ができるのは、その人が自発的に楽しむことの手助けでしかないと思っています。
(それか、ビジネスとして人を楽しませることを生業にしている場合です。楽しませることができます。その場合、やる人が楽しむというのは「自発的な感情」というだけでなく、消費の意味合いが強くなります。お客様ですから。)
ですので、上記の反論が成り立つのは、多分
・「楽しんでやれ」以外の何か、例えば「同じ単純作業でも、タイムアタックをするとか、自分なりの目標を自分で見つけることで感じ方は変わってくるぞ」等、その人が楽しみを見出すための手助けを無意識に行っている
・「楽しんでやれ」と言われて、楽しそうにすると、命令する側(上司など)の機嫌がよくなるのでそれに従っている
といったところだと思います。
「楽しめ」と指示を出す人は、後者を健全だと思います?
自分の権力の強さを確認するために命令を出している様は、自分の我儘をどこまで聞いてくれるかを試す人で美意識に欠けます。
命令される側も、わざわざ組織の空気を乱す必要もありませんが、自分の感情は大事にした方がいいと思います。
(「そんなことできるわけないだろ!?」
はぁ、そうですか。)
というわけで、タイトルは微妙に間違えています。
正しくは「楽しんでいるフリをしなくていいんじゃないですか?」です。
ではでは。
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