日本は超高齢社会で労働力が足りません。
出生率も低く、今後の若い労働力に期待ができないので、諸外国からの移民を検討しているのが現状です。
一方で、それらを技術で解決しようと、自動化・機械化が推進されており期待されています。
今日は、その方向で社会の進化が実現するとどうなるのかを考えます。
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社会としても、人の生活力としても、
災害などの障害に対する耐性が著しく弱まるように思います。
2019/07/02現在、九州に大雨が予想されており被害が想定されます。
このようなことが機械によって自動化された未来に起きると、どのようなことが起きるのか?
一例として。
国策としてキャッシュレス化が推進されていますが、災害が起きた現場では無力です。
北海道での災害時、停電によりクレカやスマホ決済が使えず、頼りは現金だったことは記憶に新しいと思います。
(だから、私は現金それ自体は減ることはあってもなくなることはないように思うのですね。)
停電。
これが、機械による自動化が推進された社会が、機能不全になる根本原因になると思います。電力ただ一つに頼り切っている社会は脆弱なのです。
また、人手が無くても日常を過ごしていける世界は、言い換えると、緊急時には人手が足りない社会であると思われます。
災害時に困る度合いは、日常生活で災害により失われるものに依存している度合いに正の相関があるように思うのです。
例えば
縄文時代であっても、機械により自動化が進んだ未来でも、地震や津波によって住居が流されたり蓄えが失われることは損失です。
失われた損失は前者と後者、どちらがより大きいのか。
災害それ自体により困るだけでなく、その後の状況において生き抜いていける可能性が高いのはどちらなのか。
後者の方が損失は大きく復興に時間はかかるでしょう。
機械に頼っていた人たちや高度に分業化された人たち(もちろん私も含め)が、条件が悪い中で生き抜いていくことは、相対的に難しいように思います。
ギャップが大きいと適応に時間がかかります。
便利な日常に慣れることは、困難な状況で生き抜く力を失わせるのです。
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電力の安定供給が大前提となる仕組みを理解し、それを使いこなすことがこれからの(現在においても)生活リテラシーになるのは想像に難くありません。
しかし、特に、災害大国と呼ばれる日本においては、人口を増やす事と個々人の生活力を上げることが必要ではないかと思います。
機械が動かない中で、何かをどうにかするには人手が必要だからです。
現在の若年層の人口が少ないという現状は変えられませんが、今後の出生率増加を推進していくことが重要なんじゃないかな、と思います。
戦後、人口が増えすぎて、日本人の外国への移民が推進されたという話もあります。
増えすぎるとそれはそれで問題です。
がしかし、今は増えるような政策を打つべき時でしょう。
大きな視点から現時点に視点を戻して。
今回の大雨で、大きな事故が起こらないといいなと。
災害から生き残った人が、その後の生活に困る度合いが少ないといいな、と思います。
ではでは。
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