かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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ふるさと納税におけるESGとSDGsの話

 

ESGや持続可能な開発目標(SDGs)について書いていきます。

これらは重要なのですが、だからこそ流行りで終わらせてはいけない、という話になります。

 

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私は、基本的に流行り言葉が嫌いです。

 

冒頭のツイート、前段で紹介したマニフェストという言葉ですが、まだ記憶にある方はどれだけいますでしょうか?

政治関連の流行り言葉でした。公約のことです。

そう聞くと「なーんだ、もっと難しい概念かと思った」と拍子抜けする方が多いと思います。が、当時はそれが、決意表明というニュアンスを絡めたものとして流行したんです。

そもそも公約を掲げて当選したんなら、守るのは当然でしょう?

その当たり前のことが守られておらず、流行り言葉となって公約を守るという流行(!?)が生まれ、流行語の廃りとともに概念も軽んじられているように思えます。

 

流行というのは盛り上がりとその後の鎮静化を含めての、バブル同様の概念だと私は理解しています。

当たり前のことがクローズアップされて、流行語となって盛り上がり、それが沈静化される時、当たり前であったモノすら軽んじられるように感じるのです。

というわけで、私は流行り言葉に脊髄反射で嫌悪感を抱きます。

いままで大して大事に考えていなかった人が群がっている感じが、生理的に嫌なのです。

 

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ESGは環境(エンバイロメント)・社会(ソサイエティ)・ガバナンスの頭文字をとったものです。

環境や社会に迷惑をかけない、企業統治を誠実に行う。

これって当たり前のことです。

 

それを行わない会社は

・公害を出すなど社会に迷惑をかけます

・もっと広い「環境・自然」という対象を犠牲にした逃げ切り型のビジネスを行い、子孫に迷惑をかけます

・独裁や不正行為が内部的に行われ、顧客や株主を中心とする利害関係者に迷惑をかけます

 

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後段のツイート。ふるさと納税について。

 

ふるさと納税は住民税を収める先を指定することで、東京や大都市への地方税が一極集中することを回避する趣旨があったと理解しています。

人口が多いところは、住民税を勝者総取りになるのですね。

しかし、田舎から出てきて東京でサラリーマンをやってる人が

「どうせ払うのであれば、生まれ育った田舎に仕送り感覚で住民税を納付したい」

ということができるように、選択肢として生まれたようです。

そのお礼として、田舎からは当該地方の特産品が送られます。

すぐに(だったと記憶していますが)生まれ育った町でなくても、応援したい場所への納付が取りざたされ、地方創生という言葉とともにもてはやされました。

 

総務省のリンクを張っておきます。

総務省|ふるさと納税ポータルサイト

 

これで起きたのが、地方自治体間での競争です。

 

長所をいえば、今まで競争意識やアピールするという意識がなかった公務員の方が、納税者に対してPR活動、返礼品のチョイスを通じて商品開発を行うようになりました。

市場に放り出されたのですね。

ちきりんさんというブロガーの方が実に鋭く分析されています。

で、どこにあるのよ? - Chikirinの日記

や、下記のツイート

 

短所でいえば、これは民間企業でも陥りがちなのですが、モラルを忘れてしまうことです。

具体的には、本来の趣旨から外れた、Amazonギフト券などを返戻品とすることで住民税を集めようという魂胆です。

このあたりの監督官庁自治体のやり取りは興味深いものです。

 

ご興味がある方は

総務省|ふるさと納税ポータルサイト|関連資料

こちらの「ふるさと納税に係る指定制度について」という部分

「ふるさと納税に係る指定制度の運用についてのQ&Aについて」(平成31年4月1日事務連絡)」というPDFを特にご覧ください。

「ギリギリの部分はどこか」を探っている事がよくわかると思います。

 

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このギリギリの部分を探るというのが、結構大事なんじゃないかなぁ?と。

昨年、総務省から「ふるさと納税の返礼品は、その趣旨から、換金性が高いもの等あまりにもその地方と関係のないものは、だめだよ」という通達が出されました。

にもかかわらず、Amazonギフト券を贈るようなところがあったのですね。

 

上記で私は、ふるさと納税の短所として、モラルを忘れてしまう、と書きました。

が、市場に直面し、競合とギリギリの競争をしていると、何がモラルに沿った行動か?というのは非常にあいまいになってきます。

殺人をするようなものや利用者の健康を損なうようなことをしてはもちろん駄目でしょう。

ですが、世の中で単純なことは、そう、ありません。

グレーゾーンの中で濃淡があり、どこまでならOKなのかを時勢を見極めつつ線引きしていき、ギリギリを攻めないと、勝てないのです。

 

だから、総務省自治体とのQ&Aでは、ギリギリはどこなのかという探り合いが活発に行われたのだと思います。

 

あまりにも、度を越えたことをやってしまうと世間の疑義・うまくいっていない自治体の反感が募り、ふるさと納税の仕組み自体が無くなってしまいます。

 

モラルとは、少なくともビジネスの世界では、崇高な精神性よりも長期的な利益を追求する際の必要条件・大前提なのではないかなぁと思います。

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ここまでで、

・流行りの言葉は、実は、今まであった概念の言語化やキャッチコピーをつけたもの・焼き直しである事が多い

・流行り言葉になってしまうと、概念と言葉が一体化してしまう。言葉が廃れると同時に概念自体の重要性が相対的に薄れてしまうことがある

ふるさと納税を例に、競争はギリギリを目指す必要がある。そのギリギリ具合を間違えると、市場そのものが崩壊してしまう可能性がある

ということを書きました。

 

ESGやSDGsの話に移ります。

 

ESGやSDGsを、守らなくていいとお考えの方はいらっしゃいますか?

多分いませんよね?

環境だって重要ですし、経営者の独善に陥らないような仕組みがあったほうが受託者責任を果たしているという一種のシグナルになります。

何よりコーポレートシチズンシップ的な観点からは、企業も社会の一員なので、環境に配慮して当たり前なのですね。自社で出たごみを垂れ流して自社が属する地域に迷惑をかけてはいけないのです。(メセナフィランソロピーもその一種といえるのでしょう)

持続可能性は純粋に、当該ビジネスを継続的に執り行い利益を生み出す観点で重要なはずです。

もっと言ってしまえば、ビジネスを行う際の大前提です。

 

今、流行りのESGやSDGsは、実はビジネスの世界では(言語化されていなくとも)経営者であれば大前提として認識していたはずのものだと思うのですね。

それが、あたかも「これが現代の経営手法だ!」という感じで流行しているように思えます。

 

そうではないのではないか、と。

 

人間が生きていく上で、環境が汚染されると生存自体が成り立たず困るから、環境問題に取り組むのと同様

企業がビジネスを行う上で、社会に当該企業が常識を守っていないと思われたり市場自体を焼き畑農業のように毀損すると長期的なビジネスが成り立たず困るから、ESGやSDGsに取り組むのだと思います。

 

というわけで、自分たちが競争するときに、その土俵を壊さないよう気をつけねば、という話でした。 

 

最後に。

コーポレートシチズンシップ

メセナ

フィランソロピー

これらを、あえて、使ってみました。

どれも、企業が社会の良き隣人であるようにという概念です。

これらの言葉の意味が分からない、もしくは、聞いたことがないという場合、一時期流行ったこれらの言葉は、やはり、流行り言葉だったのだなぁと思います。

 

ではでは

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