かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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本質を大事にしようという話の大事な本質の話

先日、あるところで、その場における偉い人が「本質を大事にしなくちゃならん」という話をしました。

私はその場にはいましたが、当事者ではなかったので聞いているだけでした。

聞き手の皆さんの反応を見るに、そうだそうだと賛同し納得されているようでした。彼ら彼女らにとって「良い話」だったようです。

 

これ自体は特に悪い話ではありません。

ただ、私がこのブログに書くということは、注意点があると思っているのですね。

 

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本質とは何か。

辞書やWEBで調べると色々出てきましたが、煎じ詰めればポイントです。

本質を大事にしましょうね、というのは、ポイントを押さえましょうね、と言っているという理解を私はしています。

 

私は冒頭のタイミングで聞き手の皆さんに聞くことができなかった質問があるのです。

それをこのブログを読んでいる方に聞いてみたいのです。

 

「本質を大事だと思っていない方はいますか?」

 

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多分、ほとんどの方が大事だと思っている、、、、、と思うのです。

 

中には「あえてポイントを外すことで文章で倒置法を使うような強調・受け手の注目を集める効果を狙って」云々、のような事を言う方はいるかもしれませんが、それは「受け手の注目を集めるために常識と違う手を打ちましょう」という本質に則った行動だと思うのです。

実際に反論を受けたわけではないので良くわかりませんが(上記例は想像です)、本質を大事じゃないとする方は、おそらく、言葉あそびにハマっていると思われます。

 

では、

なぜ、すでに大事だと思っている本質に対して、改めて「本質を大事にしようね」と言われて「そうだそうだ、これは有用な話を聞いた」という反応をするのか?

なぜ、すでに大事だと思っている人たちに対して、改めて「本質を大事にしようね」という話をするのか?

 

きっと、本質を外れた問題が日常で起きているからだと思うのです。

みんな知っていて、けれどもできていないことだからだと思うのです。

 

毎日のルーチンワークで、つい面倒くさがって顧客志向がおろそかになってしまったりだとか、報連相に行き違いがあったりだとか。

これはこれで問題ではありますが、あまり大きな問題だと私は考えません。

 

私が本質というものに関して大きな問題かもしれないと感じる時は、本質を取り違える時です。

例えば何か新製品の開発で、開発するR&A畑の人間・専門性の高い人間って、どうしてもテクってしまう時があるんですね。私の知っている範囲ですが。

自分の技量をみせたがったり、作業興奮というのでしょうか質を上げることに拘り過ぎて実際にできたものは消費者に受け入れられなかったり。

ビジネス書を数冊読めば失敗事例としてたくさん出てきそうな話です。

大きな問題だと感じる理由は、影響が甚大であるし行動規範や考え方の根本を変えなくてはいけないからです。

 

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一般に物事は、WHYとHOWとWHATの領域に分かれます。

この商品を作るべきか否か、商品の存在意義は?経営戦略との整合性やそれにおける役割は?それがWHYの領域です。

その商品をどのように作るのかどのように売り出すのか。時にはどのように撤退させるのか。それがHOWの領域です。

その商品を売るために何をすべきか、サポートは何をすべきか、商品回収・リコールなどが発生したら何をすべきか。それがWHATの領域です。

 

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営業が顧客にちょっと失礼な事をするのは、顧客志向を外れた行為で(その企業が顧客志向を営業の本質またはその一部としているのであれば)本質を外しています。

ですが、WHAT領域の事って、かなり起きがちですし真摯に謝れば許してもらえることも多いのですね。私もトラブルを起こしますし私が認識していないだけで許してもらえていることもあると思いますし。その逆もありますし。

一方で、土台領域といってもいいWHY。前述の新商品を開発する、なんて場合は本質を外すとエラい目にあいます。場合によっては社運を賭けた商品が無駄に終わるのですね。

タチが悪いことに、このWHY領域で本質を外したかどうかは、結果が出ないとわからない場合が相対的に多い。そもそもの新商品の開発なんて博打みたいなもんですし。

 

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だから、大事なのは、「本質を大事にしよう」という抽象的ですでに合意が取れている話ではなく、少なくともこの組織では、特にWHY領域の本質を、どうやって見抜くかという具体的な話のはずです。

(どういう風にコンセンサスを得るのかというその集団における常識を身に着ける話と混ぜこぜになります。一社会人が組織の中で生き残るためには失敗したときの対応も「それならしょうがない」と言ってもらえる生存を考えなくてはいけないので、そのあたりも考慮すべきです。それは必ずしもいいことではないのでしょうが、人はそこまで強く正しいものではないように思います。別論点になり長くなるので控えます)

 

なので、「本質を大事にしよう」という話を聞いて、「そうだ!賛成!本質を大事にするぞ!」という反応だけでは不十分だと思うのです。

 

「本質をどうやって押さえればいいかな?」とか

「本質の変化をどうやってとらえればいいかな?」とか

「既存の概念に新しい概念が引っ張られないようにするにはどうすればいいかな?」とか

「本質が変わった際、実務の変更手順はどうしよう?」とか

そういう話になるはずなんじゃないかなぁ?と。

 

それが、本質を大事にしようという話の本質なんじゃないかなぁ?と。

 

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それが正しいのであれば。

 

冒頭の聞き手の皆さんが、

「本質を大事にしよう」という話を聞いているそばから本質を大事にしない人たち

でないといいなぁと思います。

 

ではでは。

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