かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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プロの手加減

プロと言っても万能なわけはなく、その業界の最低限をクリアできればプロと言ってもいいのでしょう。(野球選手全員がイチローさんなわけではありません)ですがそれでも、一般人・門外漢からすると「さすがプロ」なわけで。

今回は、そんなプロは手加減をしているはずだ、という話しです。

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それは主に大衆向けの仕事において行われます。

 

典型的な例は政治家です。

最近何度か書いていますが、門外漢にプロの仕事は評価できません。

政治家が国益のために長期目線でスゴい事をやったとしても、それを評価できるのは後世の学者が解説をした後位なもので、私のような一般人はニュースや風評を聞きかじって右往左往するのです。

それなりに事実をつかもうとしてはみますが、そもそも非公表の仕事があったりと、たとえ十分な判断力があったとしてもそれを活用できるだけの材料が揃っていないと見るべきだと感じます。

事実を全て認識しそれらを正しく(主観が入りますがここでは優しくふんわりしたまま流してください)評価できる人がいたとして、その人は評価結果のみなら大衆に言うことができるでしょうが、そのプロセスを詳らかにはできないはずです。判断材料に非公表のものが含まれているから。そうなると胡散臭いという風評が出るので、合理的には黙っているか世間の合意に寄り添った態度をとることが最適解となりそうです。

 

政治家は、大衆に支持されているからこそ政治家です。

選挙に負ければ一般人です。

一般人にわかりやすい成果を上げなければ再選はできません。

そうなると、政治家にとっての最適解は、国益を第一に考える人こそ大衆向けの仕事をやらなければならないという、少々矛盾をはらんだ答えになります。

本来的には、国益を重視した仕事に全力投球していただきたいのですが。

 

その理由は先に説明した通り、我々選挙権を持つものが正しく評価できないからです。

大衆が愚かである、選挙ポスターや選挙運動の美辞麗句に騙される、とシニカルなことを言っているわけではありません。

国の仕事という専門的な仕事でさらにはおそらく大衆にすべてを明らかにできない仕事だからこそ、十分な能力がある人にも正確な評価はできない、という話しです。

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小説なんかでも同じようなことが起きているんじゃないでしょうか?

もっとテクった構成や文章で文学文学したものを世に出したいけれど、それを受け入れてくれる人はいないし、いたとしても商業として成り立つには少ないでしょう。

だから、ちょっと本を読む人からすると「はいはい、またこのパターンね」とか「ほーら思った通り」というものが出版される。

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秋元さん、AKBの仕組みを作ったあの人ですけども。

あの方は作詩をしていまして、それは同業のプロからしてもすごいと言わしめる腕前なのだそうです。

何がすごいのかというと、陳腐と思える作詩を平気でできる。それがプロにとっては難しいのだそうです。

考えてみれば、JPOPを聞くのはいつの時代も若者です。

いつだって、若者は愛や友情に葛藤し悩んで生きています。でも、作詞家は人間ですので年を取ります。年を取っていろいろなことを経験すればモノの見方も変わるでしょう。

自分の感情を吐露し作詩するのでなく、顧客が求めている作詩ができるという点がプロとして一流なのだそうです。

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私たちは、消費活動(選挙も?)を通じて一流を育てる仕組みを放棄しているのかもしれません。

 

ではでは。

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