かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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混ぜるな危険

スタイルって多分あると思うんです。

体型ではなく、自分のやり方。

 

人間は、直感的に動くか理知的に動くかなんて二分割はできず、誰しも両面を持っているとは思います。
が、やはり配分はあるわけで。そうなると「この人は直感的な人、あの人は論理的な人」という分類わけをする事は一つの便利な認識方法です。
(ただ、この人は直感的な人だからこうに違いない、という決めつけは危ないというだけだと思います。
上記例で言うと直感的な人という判断自体が誤っている可能性があるし、傾向はあくまで傾向なのだから、その人が接する時にその特徴が現れるかは別問題だからです
論理的な人だって直感で決める時はあります)

 

今回は、スタイルが違う人間がどう折り合いをつけるかについて書きます。

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この記事では話を単純化するために、直感的な人と論理的な人の二つに絞ります。

冒頭の通り、人間は一人の中にどちらの性質も持つものの、傾向はあると。

 

そうなると、必然的に直感的な人は直感的な人同士で、論理的な人は論理的な人同士で集まる傾向が出てきます。その方が心地よいからです。

皆さん頭では理解できます。「皆、いろいろな面がある。私のスタイルを否定されたくないから、私も人のスタイルを否定するようなことはしない」

でも、一緒にいる事って、理屈じゃありません。

確かに、無理して一緒にいなければならないこともありますし、人間は良い面も悪い面もあるのだから我慢も必要です。しかし毎回突っかかったりその逆だったり、考えの大前提が違っていたり、大事にしているものが全く違ったりすると、それはもう「横からの口出しで申し訳ないんですが、別々になったほうが良いんじゃないですかね?」と。

当人同士が一番思ってます。

子供ならいざ知らず、大人の世界では距離の置き方をおぼえ人との接し方も割り切れるでしょう。

 

そうなると集団ができます。時にそれは派閥と呼ばれます。

みんなで仲良く通じ合えるのであれば何よりですが、仲が良い同士であっても通じ合えることは少ないのが実際です。

いわんや、ウマが合わない同士をや。

 

こう考えていくと、派閥を作るという事は、やるべきことが回っているのであれば不必要な摩擦を生まない効率的な必然のように思えます。

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直感的な人は直感的な人同士でそのスタイルで過ごし、論理的な人は論理的な人同士でそのスタイルで過ごすことになります。

そうなると、互いの特徴は増強されます。

 

何か問題に対し、解決策は複数存在することが多いようです。

問題が無くなればいい(必ずしも解決にあらず)ので、直感的でも論理的でもどちらでもアプローチは関係ありません。

おなかが減ったという問題に対応できるのは、和食でも洋食でも中華でも、なんでもいいのです。何か夢中になれることに集中するという解決法さえあります。

 

集団内で、直感的な小集団と論理的な小集団が存在し続けているのであれば、どちらもそれなりの実績があるはずです。であれば、問題が起きてもどちらも各々のスタイルで解決できます。それは自己肯定感につながり自分たちのスタイルを正しいものと認識させます。

この流れが正しいのであれば、その集団の中では強い暗黙の了解が形成されているはずです。

どちらも「私たちはこのやり方でやってきた、実績もある」と主張します。新参者はまずその集団のやり方アプローチの仕方と暗黙の了解をおぼえることからスタートです。

実績がありますから、一から自分で試行錯誤されても困ります。

そんな状況で、その集団は自らの特徴を自己否定できるでしょうか?

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こう考えていくと、違うスタイルの集団同士が混ざる必然性はないように思えます。

お互いが混ざる時というのは、
非公式な場、例えば会社内の派閥で分かれていても趣味の釣りでは一緒になる
とか
別の知見の必要性に迫られたとき

くらいでしょうか。後者の典型的な例はプロジェクトが失敗した時です。今までのスタイルが通用しない時です。

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ダイバーシティという言葉があります。

多様性を尊重するというような意味合いで使われます。
女性や外国人を積極的に活用するような文脈で使われることが多いと感じます。少数派を尊重するような感じです。

 

これがなかなか上手くいかないようで。

対立・軋轢・衝突が生まれ、どちらかが妥協して終わります。化学変化が起きて何か新しいものが生まれるのではなく、勝った負けたの世界です。

 

「なんでも違う文化や考え方と出会えば衝突があるのは当たり前だ」

その通りだと思うんですが、それを解消する方法は考えておいでで?

そもそも、そういう摩擦はできるだけ少なくするという「治療より予防」的な考え方は?
、、、、。
ない?
はぁ、そうですか。

 

私はダイバーシティも流行り言葉だと考えています。受けがいい、だから使われる。

少数派を尊重しているだなんて、先進的ですごく良さそうです。

ですが、運用可能な融和策まで考えられているところはどれだけあるでしょうか?

 

産前産後休暇を手厚くして子育て中の女性やシングルマザーにも働きやすい環境を整えるという事は、それ以外の人が割を食うという事を意味します。

「うちの社員なら上手くやる」

と、従業員を信じるような言葉は美しく耳に心地よいのですが、それは信じているのではなく丸投げしているだけです。

あえて厳しい環境においてそれを乗り越えさせる?

それは、自己満足です。無駄な苦労をさせてるだけではないんですかね?

 

だから、無理に「ごっちゃ」にしなくていい、というのが私の考えです。

余裕がある所に、ちょっとした刺激を与えるのは意味があるかもしれません。本当に無理のない多様性の受容は、別の観点での共通項から信頼関係が生まれ、信頼関係の下で育っていくように思います。

そういう偶然性の高い革新は人工的なものではないのかもしれない、と思うのです。

 

スタイルの違う人たちを、無理に混ぜるのはやめた方が良いのかもしれません。
混ぜるな危険。

 

ではでは。

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