かんがえる、かがんでいる人

考えたことをまとめます。

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強ければ弱くなり、弱ければ強くなる話

ESG関連の記事で縛ると自分が辛くなるので書きたいことを書きます。

ESG関連の記事を期待している人には、すいません。

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で、表題の件です。特に目新しい話ではありません。

 

何かの分野で突出したものができたとします。人物でもいいですね。ここでは具体例として優秀な人物にしましょうか。強いのですよ。だからこそ優秀なのです。普通の人ならくじけちゃうことでも、何とかしちゃうのですね。なっちゃうんです。

それが一時的なことなら、優秀だという評判を高めたイベントに過ぎないのです。

しかし、時代の大きな流れに沿ったトラブルの解決であれば話は違うようです。

 

ある一時点の状況において優秀だった人が、そのスタイルを変えることなく優秀であり続けた場合、突然の転落が起こりがちです。多くの場合その出来事は「あんな優秀だったのになぜ?」という疑問を周囲に投げかけるのですが、ある意味これは必然です。

 

大きな流れに対する適応をサボったからです。

 

この表現がキツイようでしたら、強者の罠にハマった、なんて言い方をしてみましょうか。優秀だからトラブルを解決できる。解決できるからそのスタイルは変わらない。変わらなくても解決できるのだから変わる必要が無い、むしろ成功体験であり経験として蓄積されてしまう。そんな話。

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一方で、劣等生は違います。今のままだとどうにも歯が立たないので、どうにか打開策を見つけようとする。あれを試して、これも試して、どうやら、それで結果が出そうな気がする。そうやって新しい環境で成功する。

世の中ではそういう事が、まま、あるようで。

 

もちろん劣等生なので、その集団において根性がある人や根気強く続けられる人、工夫ができたり頭脳明晰な人が少数派であり、大半は残念な結果になるようですが。

イノベーションのジレンマとか、高尚なことを語る気はさらさらなく、「どうやらこういうことが世の中では起こるようですよ」と。

 

個人的に興味深いのが、人は自分の事では0.1%の成功を前提に行動したり意思決定をしたりしないのだけれど、確率的には母集団が十分に大きければ0.1%の成功程度であれば、それなりに観察できるという点です。(1000人に1人成功する確率なので、1万人いればおそらくその成功を目にすることは期待できると思われます)

ここに上記のロジックは存在しません。工夫も継続もなく、運が存在するだけです。

でも、結果は出るのですよね。

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劣等生が、工夫や継続や、そして運などで結果を出した、強者になった。

そうするとどうなるか?

おそらく冒頭に戻るんです。

環境に適応するという事を実現したわけではない場合が多いし、それを狙ってそうなったとしても実績としては不十分であり、その抽象的な解決を他の変化状況下において再現できるかは、怪しい。

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そんな、環境の変化への適応が大事な話。

かと思いきや、

多くの数がめいめいに試行すればどれかが成功するんじゃないか?という話。

 

ではでは。

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